SWEET HALLOWEEN

「ただいま」
　蒸し暑さの残る午後十時過ぎ。
　そろそろ帰るよ、と小野塚から連絡があったのは三十分ほど前だった。柳沼は小野塚が玄関をくぐる十分前に缶ビールを冷凍庫に入れておいた。
「お帰りなさい。今日は早かったね」
「うん、神楽坂で、若手の集まりだったからね」
　一日働いてくたびれてしまったスーツの上着を受け取って、柳沼はハンガーに掛けた。世の中はクールビズだと騒いでいるが、議員秘書に半袖の習慣はないらしい。小野塚は汗もかかないような顔をしているが、人並みに汗もかく。
　小野塚のスーツをクリーニングに出すのは、柳沼の仕事だった。とは言え、毎日業者が玄関先まで取りに来てくれるのだが。
　業者の人間が、毎日家にいる柳沼のことをどう思っているのか知らない。
　まるで専業主婦のように小野塚の家のことをしているが、小野塚から頼まれたわけでもない。ただ留守番していても退屈だから、やっているだけだ。
　食事の買い物も日用品の買い出しも、家にいながら取り寄せられるようにできていると小野塚は言う。小野塚が一人で暮らしていた時はハウスキーパーに掃除洗濯、買い物まですべて頼んでいたそうだ。
　そのハウスキーパーは今も週に二日やって来るが、柳沼は何も頼んだことがない。
　たまには買い物にでも出かけないとおかしくなりそうだからと言うと、小野塚は「そうだね」と言って笑って、何度か二人で真夜中に散歩に出かけたことがあった。
　そういう意味ではないのだとは、言い出せなかった。
「これ、伶にお土産」
　ネクタイを解きながらソファに腰を沈めた小野塚が、キッチンでビールを出した柳沼に小さな箱を掲げた。
　いつも料亭で包んでもらうような、料理のようには見えない。いくつも通気孔が開いている。生き物だろうか。しかし箱から物音は聞こえない。
「……何？」
　表面に薄い氷の張った缶ビールとグラスを運びながら箱に目を凝らしていると、小野塚は満足そうに微笑んでいる。そうしているとまるで小学生の頃から変わらない、悪戯っ子のような顔だ。
「あ、その前に電気消して」
　小野塚は、目の前に置かれたビールなど見向きもしないで早く早くと柳沼を急かす。小さな箱を大事そうにテーブルの上に置いて、柳沼にリビングはおろかキッチンの明かりまで消させた。玄関に続く廊下への扉を閉めると、部屋はほぼ真っ暗になった。
　足元に留意しながらリビングに戻ると、小野塚は夜景の映る窓にカーテンを下ろしている。
「伶、箱を開けてみて」
　全く大仰なお土産だ、という言葉を飲み込んで苦笑で紛らわした柳沼がソファに座り、紙紐を解いて蓋を開ける。箱の中を覗き込むと、箱の半分を白い綿が占めていた。他には何も見当たらない。
　――と、思った。
「伶、ほら」
　小野塚の声に顔を上げると、真っ暗になったリビングに仄明るい光が、舞っている。
　淡いクリーム色のそれが緩やかに瞬きながら、ふわりふわりと柳沼の前を周回していた。
「――……、蛍」
　呆気に取られて呟いた柳沼の声は、掠れてしまった。
　しかし、小野塚にはしっかり届いたようだ。窓辺からソファの柳沼の元まで歩み寄ってきた小野塚が、小さく肯く。
「料亭の庭にいたのを、無理言って貰ってきたんだ」
　柳沼の傍らに腰を下ろした小野塚はそう言って背凭れに身を寄せ、笑った。前方に長い腕を伸ばして、そっと掌を合わせる。
　その手の中に、灯りが閉じ込められた。
「捕まえた」
　儚げで小さな灯りをそっと引き寄せた小野塚が、柳沼の鼻先にそれを近づけて覗きこむ。
　小野塚の骨張った指の隙間から、光る蛍の姿が見える。
　柳沼が目の前の小野塚の顔に視線を上げると、小野塚ははにかむように笑った。
　――まるで、籠の中の鳥だ。
　柳沼はいつも、そう言いそうになっては、慎重に飲み込む。
　柳沼に何不自由のない生活をさせてくれようとする小野塚の気遣いはわかる。無理して早く帰ってきてくれる日もあるし、今でこそ落ち着いているが柳沼がフラッシュバックで苦しむことが多かった時は小野塚の睡眠時間は殆どなかったはずだ。
　柳沼を一人で外出させれば、いつまた誰に会うか知れない。
　薬物を断ち切るには、その誘惑をすべて遠ざける必要がある。
　それをわかっていて、小野塚は柳沼をなるべく家から出したくないのだろう。それが小野塚なりの、責任感なのだ。
　でも。
「……馬鹿だね、奏。蛍なんて、すぐ死んでしまうのに」
　柳沼は小野塚の手に自分の掌を重ねると、腕を下ろさせた。自然と解けた小野塚の手から、蛍が逃げていく。ひらひらと舞うように登って行って、カーテンに止まった。
　しかしそれを柳沼は視線で追うことはしなかった。
　瞼を閉じて、目の前にある小野塚の唇に自分のそれを重ねる。小野塚が、緩く柳沼の手を握り返してきた。
　責任を負って欲しいなんて思っていない。小野塚と離れていた間に柳沼の身の上に起こったことは全て柳沼の問題だ。
　今は小野塚の助けが必要だが、小野塚と一緒にいる理由は「必要だから」じゃない。
　土産なんていらない。薬の誘惑なんて必要ない。
　ただ小野塚が一緒にいてくれるだけで、柳沼は幸せになれるのに。
　しかし柳沼はその言葉も飲み込んで、ただ黙って小野塚の肩口に凭れた。カーテンに寄り添った蛍のように。「ほら、先生。……早く服を脱いで」
　壁際に追い詰められ、椎葉の目前を影が塞ぐ。
「やめてください、っ……！　まだ、就業中です」
　椎葉が顔を背けると、安里の視線を感じた。眼鏡を抑えるふりをして顔を隠しながら、椎葉は唇を噛んだ。
「いいじゃないですか。すぐに済みますから」
　すぐに済むなんて、嘘だ。
　彼の願いを聞き入れたが最後、彼が椎葉の反応に飽き足りるまで延々と辱められるに決まっている。
　安里が見ている前で――。
「こ、……困ります」
　どう言えばわかってもらえるのか、検討もつかない。
　もう数十分も押し問答を続けている。挙句こんな壁際まで追い詰められて、無理やり服を剥ぎ取られないで済んでいるのはまだ幸いか。しかし、それも時間の問題かも知れない。
　彼が焦れてきているのがわかる。
「何が困るっていうんです、こんなに丁重にお願いしているっていうのに。首を縦に振らない先生が悪いんでしょう？　困ってるのはこっちだ」
　苛立ったような声をあげられて、椎葉は顔を伏せた。
　それを振り仰がせようと、手が伸びてくる。
「っ、！」
　思わず、スーツの襟を庇って身を竦めた。
「……へぇ、無理やり脱がされたいのか」
「！　違……っ！」
　咄嗟の反応を嘲笑われて椎葉が悲痛な顔を上げると、顎先に伸ばされた彼の手が――スーツに触れた。
「――……っ！」　
　椎葉が目を瞑って蹲る。
　――その瞬間。
「痛ってぇ！」
　どすん、という鈍い音と共に、どこか間の抜けた悲鳴が響き渡った。
「…………、？」
　恐る恐る目を開いた椎葉の前はさっきと変わらず、人影が覆っている。でもそれは、見慣れた広い背中だった。
　椎葉を悪漢から守るように立ち塞がってくれている――
「茅島さん」
　反射的にその背中に縋りつくたくなる気持ちをぐっと堪えて、椎葉は胸を抑えた。
「先生、何ともありませんか」
　茅島は肩越しに椎葉を振り返ると、穏やかに眸を細めた。
　はいと応えて、みっともなく座り込んでいた床を立ち上がる。心底安堵して、まだその場にへたり込んでいたかったが茅島の前でそんな失礼なことはできない。
　茅島の向こう側では、十文字が尻餅をついて唇を尖らせていた。
「ちぇー、なんだよそれ。ナイト気取り？　マジ引くわー」
「何とでも言え。椎葉先生の職務を妨害したお前のほうが悪い。さっさと自分の事務所に戻れ」
　茅島は手の甲を振って十文字を虫けらのように追い払うと、一瞬、机に着いたまま粛々と仕事をこなしている安里と視線を交わしたように見えた。
　過去にも何度か、安里が茅島と何らかの繋がりがあるのだと思わせることがあった。
　しかし椎葉は未だにそれが何なのか知らない。茅島を問い詰めたこともなかった。それが、つまらない嫉妬だとわかっているからだ。
　茅島はすぐに椎葉を振り返ると、椎葉の膝の埃を払いながら身を案じてくれた。
「先生、何ともありませんか」
「え、えぇ……」
　十文字が暴力を振るうという心配はない。十文字は堂上会の直参組織、菱蔵組の組長だし、そもそも根の悪い男ではない。暴力団幹部を捕まえて悪い男ではないというのもおかしな話だが、少なくとも内部の人間は自分の家族のように大事にする男だと聞いている。
　しかし、時には暴力よりもひどい辱めを受けることだって――
「なんだよもー！　茅島だって見たいだろ？　椎葉センセーのコスプレ姿！」
　床の上を立ち上がった十文字が、手に持っていた衣装を掲げて声を荒らげた。
「――コス、……プレ？」
　茅島の渋い低音が、唸るように呟く。椎葉は背伸びをしてその両耳を掌で塞いでしまおうかと思ったが、安里や十文字が見ている前で茅島の肌に触れること自体恥ずかしい行為のような気がして、歯噛みした。
「茅島さん、あのっ、お茶にしますか。それとも、コーヒー……」
「そう！　ハロウィン用のコスチューム！　今夜の譲はちょっぴり小悪魔☆なコケティッシュ・デビルコスか、それとも甘ロリ仕様な猫耳コス、どっちがいい？」
　茅島を促そうとした椎葉の声を遮って、十文字が両手にハンガーを持ってコスプレ衣装を茅島に突きつける。
　何故か、両方ともミニスカートだ。そんなもの着るはずがないのに無理強いさせられそうになっていたところへ、茅島が助けに来てくれた。
「…………、」
　茅島が、押し黙った。
　まさか茅島に限って十文字の甘言に惑わされるはずなんてないと信じていながらも、椎葉は息を詰めると慌てて茅島の顔を覗き込む。
　しかしやがて盛大に溜息をつくと、茅島は目の前の衣装を乱雑に引っ手繰った。
「――菱蔵は暇なのか」
　吐き捨てるように紡がれた茅島の言葉に椎葉が大きく胸を撫で下ろすと、安里もこちらの様子を窺っていたようだった。思わず視線があって、お互いに目を逸らす。
「失敬だな！　まるで監視でもしてたみたいにタイミングよくセンセーのピンチに駆けつけるようなお前なんかよりよっぽど忙しいよ！」
　返せ、と腕を伸ばした十文字の頭を、茅島が片腕で抑える。十文字も必死で腕を伸ばしているが、茅島のほうがリーチが長くて十文字の腕は到底茅島に届きそうにない。
　そうしていると旧知の友人というよりもむしろ、大人と子供のようだ。どちらにせよ、ひどく睦まじく見える。
　確かに堂上会直参の中でも茅島が頭を務める茅英組と十文字の菱蔵組は、どちらも他の組とは異質な存在だ。シマが隣接しているからいがみ合っているのかと思っていたが、今となっては茅島と十文字がこの調子でじゃれあっているだけにしか見えない。
　茅島は十文字が嫌いだし苦手だと言って憚らないが、十文字は茅島のことを憎からず思っているようだし、茅島だって言葉通りじゃないだろう。
「何がどう忙しいっていうんだ？」
「夏祭り秋祭りが終わったら次の祭りはハロウィーンしかないだろ？　最近はハロウィーンも一般化してきて駅前に屋台を出店して仮装パレードやるんだとさ。これも立派なシノギだ」
　茅島に額を押さえつけられたまま十文字が目を光らせると、茅島は苦い顔をして手を緩めた。一瞬バランスを崩した十文字はすぐに体勢を立てなおして、勝ち誇ったように腰に手を当てる。
「茅島ンとこの店だってハロウィンフェアとかやるだろ？」
　椎葉は茅島に促されて自分のデスクに戻ると、安里にお茶を出すように頼んだ。十文字には数十分前に出したきりでもう冷めてしまっているだろうから、二人分。安里は黙って立ち上がると、給湯器があるコーナーへ向かった。
「そうだな、店ではもう準備してるんじゃないか」
「去年のアレひどくなかった？　どこだっけ、あのー……ウンコみたいな名前の店の、かぼちゃ祭り」
　ウンコみたいな名前と言われて椎葉は面食らったが、茅島は思い当たる節があったようで一瞬眉を顰めたあと、口元を緩ませた。
「ラウンジ・ココか。……確かに、あの衣装は見るに耐えなかった」
　その店名のどこがウンコに似た名前なのかはわからなかったが、茅島はかぼちゃ祭りというキーワードで理解したのか。椎葉はデスクに広げた判例集に視線を落とすことも出来ずに、茅島の表情を見つめた。
　応接セットにも座らず、立って十文字と向かい合ったまま砕けた様子で会話を弾ませている。
「だろー？　お前今年はあそこの店長にチェック入れといたほうがいいよ。あんな女の子が席に着いても、俺だったら美味い酒は飲めない」
　十文字の騒がしい笑い声が事務所に響く。茅島も、わかった、と珍しく素直に十文字の提案に肯いて肩を震わせている。
「…………、」
　茅島のあんな表情、見たことがない。
　茅島と十文字は安里が応接セットにお茶を出しても気付かないほど、会話を弾ませている。
　二人の交流は、十文字が渡世入りする前からだと聞いている。詳しくは知らないが、それなりの確執があっても、確執があるからこそ、ある種の絆が生まれるということもあるのだろう。特に、男しかいない任侠道では。
　椎葉には入り込めない世界だ。
　いくら堂上会の顧問弁護士をしているからといって渡世入りしているわけではないし、ある一線からは踏み越えてこないよう、他でもない茅島が気を付けてくれている。もちろん椎葉の人生を思ってのことなのだろうが、まるで、除け者にされているみたいだ。
　椎葉は判例集を閉じて椅子を立ち上がると、安里に一声かけて建物の三階へ上がった。
　今まで、就業中に自宅スペースへ篭るなんてことはしたことがない。同じ建物に居住区とオフィスを構えている以上、それは大事な線引きだと思っていた。
　でも、あれ以上茅島と十文字の歓談を見ていられなかった。
　子供じみた、嫉妬だ。
「はぁ、……」
　椎葉は自分でも情けなくなるくらいみっともない感情をリセットするために自室へ上がると、冷蔵庫から冷えた水を取り出した。
　そう長い間目を背けていられるわけでもない。一口水を呷ったらすぐに戻るつもりだった。
「譲さん」
　しかし水を嚥下した瞬間に背後から声をかけられて、思わず咳き込んだ。
「か、っ茅島さん……！　どうして、」
　階下で十文字と話をしていたはずなのに。振り返ると、茅島はキッチンの中に入ってきて緩く腕を広げた。首を小さく傾ぎ、抱きしめて良いかと許可を求めるように。
　そんなことを、拒んだ試しはないのに。
　椎葉が飲み差しの水をシンクに置いて茅島との距離を詰めると、椎葉の貧弱な体はその広い胸にすっぽりと収まってしまった。
「あなたが急にいなくなるから、心配になって」
　胸に顔を埋めると、茅島の低い声が波になって椎葉の体に響いてくる。
「心配って、……自室に上がってきただけです」
「どうして急に？」
　椎葉の髪に鼻先を埋めた茅島は、自分が意地の悪い質問をしているという自覚があるのだろうか。
　それとも、本当に椎葉がどうして席を離れたのかわかっていないのか。
　気付かれていたらいたたまれない気持ちになるが、わかっていて尋ねているのだとしたら――それはそれで、目も当てられない。
　結局椎葉が押し黙ると、茅島が抱きしめていた腕を緩めて椎葉の顔を覗き込んできた。
　本当にわかっていないようだ。まるで子供のように、目を瞬かせている。それを目の当たりにすると、顔を顰めていた椎葉も思わず吹き出してしまった。
「……何でもありません。茅島さんと二人きりになりたかっただけです」
　十文字との仲を嫉妬したのだなんて言ったら、茅島が驚くだろう。椎葉が素知らぬ顔で嘯くと、茅島は一瞬首を捻ったもののすぐに椎葉の頬へ唇を寄せてくれた。
　茅島の温かい吐息が椎葉の肌を擽る。椎葉は茅島の背中に腕を回して、顎先を上げた。就業中だから、早く階下に戻らなければいけないのに。
　椎葉が薄く開いた唇へ、茅島が舌先をそよがせながら口付ける。椎葉が踵を上げて背伸びをすると、腰に回った茅島の腕が強くなった。
　舌先を戯れるように触れさせた後で唇を交差させ、ずるりと茅島が入ってきた。椎葉が喉を上下させながら茅島のものを飲み込もうとすると、口蓋を大きく舐め上げられる。
「んぅ、……っぁ、ン」
　椎葉の背筋をぞくぞくとしたおののきが這い上がって、甘えたように鼻を鳴らしてしまった。茅島が体重を移動してきて、椎葉はシンクに押し付けられるとその上へ乗り上がるように抱きかかえられた。
　シンクの上へ座ると椎葉のほうが僅かばかり上になって、椎葉は背中から移動させた掌で茅島の頬を抱いた。
「ぁ、ふ……っん、ぅ……ん、ン」
　顔の向きをしきりに変えながら唇を食み直し、椎葉は積極的に茅島を貪った。まだ嫉妬の気持ちがどこかにあるのかも知れない。
　十文字との付き合いがいかに長くても、十文字としかわからない会話があっても、茅島は椎葉を追ってきてくれたし、こうして口付けてくれる。このままずっと、椎葉の仕事が終わるまで事務所にいてくれたらいいのに。そうしたら今夜はずっと、茅島にぴたりとくっついて、離れない。
「……ところで、譲さん」
　椎葉の顎先に零れ落ちた唾液を啜って唇を離した茅島が、椎葉の髪を撫でながらゆっくりと目蓋を開く。
　椎葉はすっかり体の芯を熱くさせながら茅島の額に自分の額を寄せたまま、言葉を待った。
「十文字の持ってきた衣装、どちらを着てくださるんですか？」
「!!」
　驚いて、思わず身を引く。
　シンクの上でバランスを崩しそうになった椎葉の腕を茅島が捕らえて、自分の胸へ引き寄せた。
「な、何を……茅島さんまで、」
　さっきまで茅島への愛しさに弾んでいた心臓が、別の意味で早鐘を打っている。
「私の前でだけ着ていただける分には、悪く無いかなと。――もちろんたっぷり、甘い悪戯を差し上げますよ」
　シンクから椎葉を抱き上げた茅島が、器用に片目を瞑って見せる。
　椎葉は一瞬息を詰めてその表情に見蕩れた後――大きくため息を吐き出した。