knocking on your door(12)
翌朝目を覚ますと、テーブルの上には食事が用意されていて、部屋も綺麗に片付いていた。
昨日俺が散乱させた煙草は行儀正しく詰まれて、定位置についている。その定位置も俺が決めたものではないが。
「……」
俺は無造作に伸ばした髪をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら、頭を掻いた。
ミズノは出て行ったんだな、と何となく思った。
煙草を一本吸ってから二度寝にしけこもうとした時、電話のランプが点滅していることに気付いた。
ベッドの上から手を伸ばして、留守電を再生する。次の仕事の連絡だった。
仕方なく目脂のついた眼を擦りながら受話器を取り、折り返し電話をかける。仕事くださいー、ってな。
数分後には明日からの俺の仕事が決まった。
さて、これで心置きなく眠れる。
ベッドのくたびれたスプリングを大きくバウンドさせながら倒れこむ。
ふと、昨夜の情事の匂いが俺の鼻先を掠めた。
ミズノの甘い喘ぎを思い出す。そして世にも残酷なことを思う。
あいつは男娼としては最高なんだろう、と。
男を抱くことなんか思いもよらなかった俺があんだけ完全燃焼できたんだから。
――男ってあんなイイもんなんだなァ。
おっと、危険思想か。
別にノーマルとかアブノーマルとか、どーでも良いと思ってるけど。
実家の姓は兄が継ぐんだろうし、今の俺の生き様じゃ定職もねェのに嫁だのなんだの将来のことを何一つ考えられない。
結婚なんてものに特別な思い入れもないし、恋愛したいなんて望むこともない。
一人が寂しいなんて言うほどナマ優しい人間じゃねぇけど、ただ、このまま一人でジイさんになっていくのかと思うと、さすがにゾッとしない。
……思えばミズノだけだ。
俺が東京に出てきて以来、あんなにプライベートで会話を交わし続けたのは。
俺が初めて会ったような人種だったな。
あんなヤツと話す機会、新潟で今より人並みの生活してたって、なかっただろうな。
大体、ミズノみたいなヌルい人間には近付かないようにしてるんだ、あっちだって普通は近付いてこない。それがどーしてあんなことになったんだか。
考えているうちに、俺の口許には笑みが浮かんでいた。
眼を閉じる。
心地良い眠りに入っていくことが出来た。
「斉丸! もしかしてあれからずっと眠りっぱなし?!」
夕方五時半に叩き起こされて第一声がこれか。
「あァ?」
何でてめえ、ここにいるんだ。
「電話聞いた? 仕事の――……」
口やかましく言いながら、ミズノは部屋の中を見回して、あーっと大きく声を張り上げた。
何だ何だうるせぇな。頭重い、体だりぃ。
「ご飯も食べてないっ! 今日何も食べてないんじゃないの?」
俺はベッドに伏せたまま唸るように、おー、と返事をした。
「馬鹿っ! 斉丸、早くメシ食え! もう夕飯だよ」
バカ、ときたか。こいつも口が悪くなったもんだ。少し前まで俺が粥食わしてやってたってゆーのによ。
「……おい」
俺はへたった枕を引き寄せながら視線をやった。
「斉丸、お茶飲む? ほら、さっさと起きて」
「おい」
急須と湯飲みを持って台所からリビングにやってきたミズノが顔を上げる。
「あんた何でここにいるんだ」
ミズノは一瞬きょとんとした後で、口を大きく丸く開いた。
「はぁ?」
大仰な声を頭の天辺から張り上げて、次の瞬間には大袈裟に溜息を吐いた。
「何、斉丸キオクソーシツになっちゃたの? 俺のこと覚えてる?」
なんて言って急須を置いたテーブルに視線を通して笑って――わざとらしい笑い方だ。
「ドカタのバイトで知り合ったミズノさんだよ、判る? 熱出してぶっ倒れた俺を、心優しい斉丸が泊めてくれるようになったんだろ。……現在進行形だよ、申し訳ないことにね」
俺はミズノの表情から視線を離すと、寝返りを打って天井を見上げた。
ヤニで黄色く変色している。
「何だ、出て行ったのかと思った」
バイトに行っていただけらしい。
俺はどうしてだか、ミズノが出て行った、とそう思った。納得した。
ミズノは少しの間黙っていた。
その姿を盗み見ると、ミズノは急須の蓋をじっと眺めて、言葉を失っていたようだった。
しかしやがて、薄く唇を開いて声を絞り出す。
「……俺は」
そして、失敗作の笑顔を貼り付けた顔を上げた。
「俺はそんなに、出来た人間じゃないよ」
「出来た人間?」
何だそりゃ。
ミズノは優しいだとか出来るだとか、言葉の鎖を多く持ちすぎている。俺は気にいらねぇな。
「だから――……」
失敗作の笑顔が歪んで、ミズノは眉を潜めながら深く瞼を落とした。長い睫毛の先が震えている。
「ここで去って行った方がキレイだとか、もうこれ以上は会わない方が良いとか思っても、俺は、好きな人に会いに帰ってきちゃうよ」
湯飲みを握ったミズノの指先が白い。
俺はそれを見ない振りをした。
「そういうことを思った時、自分の気持ちを押し殺してまた野宿を始めるのが『出来た人間』てヤツなのか? 知らねかったな。ミズノさんは賢いんだろ。だってあんたにとってここに戻ってくるのは一石二鳥じゃねぇか。気持ちをムリに押し殺すことはしないで済んで、更には野宿しないで済む」
俺は放り投げるように言ってしまってから、あーしまったな、と思った。
こんな応え方は、さすがに悪い。
ミズノが俺を好きだと言うのに関して、何の返事もしない――聞く耳を持たない、というのならともかく、こんなニアミスはまずい。
「俺はあんたに惚れちゃいねぇよ」
俺は付け足すように言った。仕方ないからきちんと答えといてやろう。
ミズノが顔を上げて、俺を見た。悲痛な表情でもなければ、下手糞な笑顔も貼り付けていない。
期待も失望もない表情。
そのキレイな顔は、俺には不釣合いだ。
「あんたがこのままここに居て、あんたにその気があったら俺はまたあんたを抱くかもしれない。だけどそれはあんたを好きなわけじゃねェんだ。あんたを買う男どもとも違う――もっとタチが悪いのかも知れねぇけどな、あんたの気持ちを利用するんだからさ。
だから出てけって言うこたねぇけど、あんたがそれじゃイヤなら出てきゃいいし、あんたが勝手に勘違いして俺を優しいとか何とかで惚れてようと、何も変わんねェし」
俺は枕元を手探りした。
煙草、煙草。
するとミズノが腰を上げて、煙草を手渡してくれた。指先が触れ合う。
セックスしちまった後じゃ、その指先にもいやらしさが滲み出ているような気がする。
「――以上が、答えだ。何か不服はあるか」
俺は煙草を吹かしながら付け足した。
自分でも鳥肌が立っちまうくらい優しいもんだ。
俺はてめェのことなんか何とも思ってねぇよ、だけどヤラせろ、なんて、昔だったら口にも出さずに問答無用で女の股開かせてたもんな。
それがジョーシキだと思ってたし、今でも思う。
好きなんじゃなくてヤリたいだけだ、なんて言わないってことがいわゆる「優しさ」ってヤツで、今俺が言ったようなのはぶん殴られて当たり前のことだ。
だけど腹でナニ考えてるか判んないようなのが「優しい」なんてどうかしてる。
俺が黙ってることでミズノをここに縛り付けているくらいなら、俺の魂胆全部ぶちまけてしまったほうが俺基準では「優しい」んだ。
ただそれをミズノに「優しい」と評される筋合いはないが。
「俺が斉丸を好きでいることはいいの? 斉丸……イヤじゃ、ない?」
ずい分としおらしーじゃねぇか、そう茶化してやろうと思って、やめた。
「別に」
そんなことはどうでもいい。
カン違いして傷つくのも、勝手に盛り上がって失恋すんのも、てめえ一人だってことが判ってるなら俺は関係ねぇ。
俺がしてやれるのは「あんた一人の恋愛感情だぜ」って教えてやることくらいだ。
「斉丸が俺のことを好きになることは、ないの? 可能性は、ゼロ?」
寝転んでる俺の顔を覗きこんでくるミズノの顔は、やたらと嬉しそうにしている。
だからこいつは苦手なんだ。
俺のでたらめで捻くれた引っ掛け問題を、すぐに解いてきやがる。
俺がちゃんと答えてやることをこんなに嬉しそうにするくらいだったら、もっと早く言ってやりゃ良かった、なんて俺までやけにしおらしい気になってくる。
「さぁな」
ミズノの能天気な顔に紫煙を勢いよく吐き出してから、俺は寝返りを打った。
俺の指先の煙草を取り上げて、ミズノは俺の視線の先にしつこくついて来た。
うぜぇな。ヤっちまうぞ、コラ。
「さぁな、って?」
ミズノの顔は至近距離にあった。
煙草を取り上げられて空いた手でそれを引き寄せると、ミズノは少し驚いて、目を逸らした。
乱暴に唇を貪る。
無理やり舌をねじ込んで唾液を舐め回すと、ミズノの頬は僅かに赤くなって、大人しくなった。
「俺は人を好きになったことがねぇからわかんねェよ」
唇を離した後で、俺は答えた。