knocking on your door・Ⅱ(2)
「斉丸」
バイトの帰りに、斉丸の働いているレンタルビデオ店に寄ると、斉丸とアルバイトの高校生、高木くんが新作の映画について語り合っているところだった。
斉丸は俺の姿を目の端で確認すると、よう、ともおう、とも言わないでそっけなく高木くんとの会話に戻ってしまった。
無視されているわけではなくて、ああ来たんだ、って斉丸は判ったからそれでいいらしい。
「水野さんこんばんは」
さわやかティーンエイジャーの高木くんは、にこっと笑って挨拶してくれた。
「こんばんは」
俺も少し笑って返事をする。
と、斉丸はもう一度俺を振り向いた。高木くんを俺に取られたからかもしれない。
「斉丸、今日の夕飯何が食べたい?」
初めて会った時は薄汚れたニッカポッカを履いていた斉丸が、今は小奇麗なエプロンを着けている。
それも似合うよと口に出したら二日くらい口を利いてもらえなさそうだから、俺は心の中でそっと褒めた。
「……カニクリームコロッケ」
下ごしらえ済みのコロッケを冷凍して隠しておいたのを昨日の夜発見した斉丸が、ここぞとばかりに答えた。
「ハイハイ」
せっかく、何も考えてない時に使おうと思ってたのに。
「……あとビーフシチュー」
俺の持っている紙袋の中を覗いて、斉丸は付け足した。
あっ、コレは今日バイト先で残ったのを貰ってきただけなのに。目敏い……。
「コレは朝ごはん用」
俺は紙袋を背後に隠して斉丸をにらみつけた。
斉丸も負けじと、俺をにらみつけてくる。
その時、斉丸の隣で高木くんがくくくっと笑い声を漏らした。
「何だよ」
怒ったように斉丸が高木くんに視線を逸らす。
「いや、……水野さんとオノダさんって親子みたいっすよね」
斉丸は露骨に顔を顰めた。
「どっちが親?」
俺が尋ねると、高木くんは笑いながら俺を指差す。
斉丸は愛想がないから怖いと思われがちだと思っていたけど、高木くんともうまくやっていけてるみたいだ。こんな風に軽口叩いてもらえてるなんて。
「やーい、斉丸、子供」
俺も笑い出す。
「……言ってろ」
絵に描いたように口をへの字に曲げた斉丸がカウンターを出た。
そのまま店内の整理を始める斉丸の背を追って、カウンターの高木くんから見えない位置まで来ると、斉丸の顔を覗き込む。
「斉丸、……怒った?」
一応尋ねてみる。
「別に」
何であんなことで怒るんだ、というように斉丸は普通に俺を振り向いた。
ただ、からかわれることが居た堪れなかっただけだって、判ってるけどね、一応。
「子ども扱いが、じゃなくて。……俺が高木くんと仲良くしたこと」
俺が冗談で言い換えてみると、斉丸は呆れたように大きくため息をついて顔をビデオの棚に戻した。
「ただのアイサツだろ」
バカくせぇ、と呟きながら斉丸はビデオの整頓を続けた。
斉丸は大きいから、棚の上にも余裕で背が届く。俺はそのエプロンの端を引っ張って、もう一度斉丸を振り向かせた。
「ね、斉丸。……キスしてよ、ここで」
「バカか、あんた。こんなトコで、……防犯カメラ回ってるっつぅんだよ」
……回ってなかったらしてくれるのかなぁ?
「判ってるよ」
俺は真剣に答えた斉丸が可笑しくて、声を漏らして笑った。
本当に、可愛い。
180センチ以上もある20代の男を捕まえて可愛いなんて俺のほうがおかしいけど、斉丸って本当に可愛い。
「俺、先に帰ってるね。コロッケ揚げちゃうから今日は時間通り帰ってきてよ」
斉丸は俺に背を向けたまま、手を振って応えた。
でっかい背中。
抱きつきたい衝動に駆られるけど、それは家に帰ってからの楽しみ。
ここでそんなことしたら俺は良くても、斉丸に「ぶっ殺」されるな。
俺は途中で斉丸の煙草を三箱買って帰った。
案の定、斉丸は時間通りに帰ってきたものの、ご飯を食べた後で煙草を買ってくると言い出す。
俺が買ってあるよ、と言うと、気が利くねぇと言って頭を撫でられた。
斉丸の優しさって判りにくいところもあるけど、案外簡単なことで、俺が時間通りに帰ってきてよと言っただけなのに、煙草を買う、たった何分の時間をも惜しんで帰ってきてくれる。
バカみたいに優しいんだ。
俺は耐え切れないくらい幸せになる。
煙草を銜えてバラエティ番組を見始めた斉丸に抱きつきたくなる。
ここでは防犯カメラも回ってないし、抱きついていいんだよね?
ついでにキスをしてもいい筈だ。
「何だ」
火のついたタバコを持ち上げて――俺に火がつかないように、きちんと考えてくれてる――無愛想な声。
「斉丸、今日一緒にお風呂入る?」
斉丸の頬に唇を押し付けたまま喋ると、くすぐってぇよ、と斉丸は俺を払いのけた。こういうところは容赦ない。
「入る? じゃなくて入りてぇんだろう」
たった今火をつけたばかりの煙草を灰皿に押し付けて、斉丸の大きな掌が俺の肩を抱く。
「俺のこと好き?」
俺はこんな幸せ、今まで知らない。
「何でだ?」
俺の耳朶に噛み付くような唇を寄せて、体重を移動してくる斉丸に俺は腕を回して、小さく笑う。
「だって俺は、斉丸のことが好きだから」
人の体重を感じることがこんなに幸せだと思う日が来るなんて、思ってもみなかった。
少しでも触れていたいと、他人の体温が心地良いと感じることなんて、俺にはないと思ってた。
「日本語おかしいよ、あんた」
斉丸はぶっきらぼうにそう言いながら、俺の唇を優しく貪った。
キスがこんなに大切なものだと知らなかった。
こんなにも人を求めてしまうのは、俺が弱いからだと思ってた。
でも違う。
「――好きだ」
斉丸は俺の瞼に唇を移しながら、小さな声で言った。
斉丸は、俺の真実だ。