宵闇の狼(1)

 場所は駅前のドラッグストア横、目印は左手に赤いハンカチ――あるいはタオルを持っていること。
 三万からの良心価格。プレイスタイルは応相談。

「アバラの二、三本へし折ってもいいの?」
 携帯電話に表示させたメッセージを横目で眺めながら、モトイは手に持っていた赤いタオルを青年の目の前にはらりと落とした。
「そーいうのは、ちょっと」
 地面に頬を押し付けたままの格好で歪んだ笑みを浮かべた青年は、眉尻を大きく引き下げて見せた。
 取るに足らない売春夫だ。相手が男だろうと女だろうと、大した違いじゃない。警察の目はかいくぐれても、茅英組のシマの中で「商売」する以上は放ってはおけない。
 何も取り締まろうというのではない。自由に商売してもらっても構わない。警察への言い訳を考えてやることも出来る。それなりの料金を納めてくれれば。
 ――というのが茅島の伝言だが、モトイはそれをメモしてくるのを忘れてしまった。
 かくして、繁華街の入り口で羽振りのいい商売をしていた青年――ネットでの広告でリツと名乗っていた彼は、見栄えのいい顔に土をつけてしまっていた。
「プレイスタイルは自由って書いてあるよ、ほら」
 有無を言わさずモトイの暴力に組み敷かれたリツは、背中を踏みつけたまま屈んだモトイの手元に掲げられた携帯電話をちらりと見上げて、溜息にも似た笑い声を漏らした。
「あー、……そうだね。今度から気をつけるよ。あんたみたいな客もいるってことだ」
「いや、俺客じゃないし」
 お金を払う方じゃなくて、もらう方。モトイが携帯電話を閉じて掌をぶらつかせると、リツはますます力ない息を吐いた。
「今日はまだお客さん取ってないから払うお金もないよ。……ていうか、足退けてくんない? いつまでも俺をここに寝かせておきたいわけじゃないんでしょ」
 タップタップ、とアスファルトを掌で叩く仕種には、取り立てられる人間特有の差し迫った悲壮さはない。モトイは靴の底を乗せた背中をもう一度強く踏みつけた。
「払うお金がなくても払ってもらわないと。俺はそーゆーお仕事なの」
 リツが低く呻いた。
 モトイの足技にしたたか蹴りつけられて、痛みを感じていないはずはない。体格こそ、針金のようなモトイよりもしっかりしているようだが如何せん喧嘩慣れしている風はない。いわゆる優男だ。
 それでも、みっともない泣き言は口にしない。口の端から血がにじみ、内臓を強く圧迫されてえづいていても口ぶりは飄々としていた。
「ヤクザがお仕事なら、俺もウリ専ていう立派なお仕事なんだけどなー」
 不満そうな口ぶりを装って嘯いたリツの背中から一度足を浮かせると、モトイはその爪先で肩を蹴り上げた。短く声を上げたリツが人形のように力なく、ひっくり返って仰臥する。
 場所は繁華街から外れた路地だが、人が通らないわけでもない。しかしほぼ全員が見て見ぬふりだ。リツを足蹴にして見下ろすモトイの唇には笑みが浮かんでいる。明らかに、触れてはいけない類の喧嘩だということは誰の目にも明らかなのだろう。
「だから、そのお仕事をするにはトドケデってのが必要なんだって。茅島さんに話を通してからじゃないと、しちゃいけないの。話をするならミカジメ料ってのを払って、話をしないなら、ヨソでやって。てこと」
 それがここのルール。夜空を仰いだリツの顔を見下ろしたモトイが言うと、すりむいた頬を手の甲で擦ったリツが、引き攣った笑いを浮かべた。