天使の恋(1)

 彼は、にっこりと笑った。
 俺はその笑顔にずいぶんと長い間、見蕩れていたと思う。
 実際にはほんの数秒に満たない程度の間だったのかも知れないけど、そのほんの数秒が俺には何十分、何時間にも感じられたし
 結果的には俺の一生を左右する大きな数秒間だった。
「俺、……お金欲しいんだ」
 彼は街の雑踏に声を掻き消されそうになりながら、俺だけに聞こえる小さな声で呟いた。
 時は昼下がり、大きな繁華街じゃないにしても街には夕飯の材料を買い求めるおばちゃんたちや、気ままな放課後を楽しむ学生たちで賑わっていて、そんな慌しい空気の中で止まっているのは俺と彼だけのように感じられた。俺は彼に引き止められた。この雑多とした日常の中から、その儚げな笑顔一つで。
 「別に、恵んでくれなんて言うつもりはないよ。俺に仕事、くれないかな」
 俺は彼の言葉を一言一句聞き逃さないように耳を澄ませながら、しかしそれ以上彼に耳を寄せることも――身動き一つ出来ないまま、神経だけを尖らせた。
 歳は俺と同じくらいに見える。
 身長は、多分俺よりも小さい。暮れかかった陽に透けると金髪みたいに見える茶色い髪の毛――多分、地毛。僅かに桜っぽい、艶かしいくらいに白い肌。
 艶かしい――なんて、家に帰る途中でふと目が遭っただけの、しかも男に対して使う言葉じゃないけど。
「こんなの、……言い難いことなんだけど」
 ぽかんと阿呆面を晒して黙ったきりの俺に、彼は長い睫を伏せて言葉を繋いだ。憂えた表情に睫の影が落ちる。本当に、陶器で出来てるんじゃないかと思うくらいに綺麗な肌だ。その上に綺麗に配置された薄い唇が、きゅっときつく結ばれる。俺はその縦皺の一本一本まで数えられるくらい彼の顔を見詰めていた。
 「――俺と、寝てくれない、かな」
 吐息で濡れた唇が開くと、その中には白い前歯がちらりと見えた。偶に覗いてはすぐに隠れてしまう赤い舌は彼の唾液に濡れ、甘い洋菓子のように光って見えた。
 彼は滑らかな肌を不安に慄かせるように眉間を寄せ、泣き出しそうな表情で、俺を見上げた。
「っ、――……!」
 彼に視線を返されて、初めて彼の言葉を理解した俺は大声を上げそうになった口を抑えて一歩、後ずさった。
「ごめん! こんなの侮辱だよね。判ってるんだ、……でも……」
 彼は泣き出しそうな表情を更に歪め、鈴を震わせるようなか細い声で言葉を紡ぎながら再び顔を伏せてしまった。
「でも、……どうしてもお金が必要なんだ……。俺のこと、好きにしていいよ。どんなことだってやるから……俺のこと、二万で買ってくれないかな」
 麻薬みたいに危ない魅力で俺を惹きつける長い睫が、濡れた唇が、今にも崩れそうなほど小さく震えている。その顔面は背後を歩いていく元気なおばちゃんや俺と同じ太陽の光を浴びているとは思えないほど白く、触れたら消えてしまいそうなほど脆く見えた。
「俺のこと弄るだけだったら別に、ホモってことにはならないでしょ。……こんなこと誘ってる俺がホモってことになるだけだよね。だから――……変な理屈で、ごめん」
 俺は彼に見蕩れ始めた時よりも更に硬く、石のように身動きが取れなくなっていた。体内の血流が大移動――主に下半身に――しそうになるのを、必死で塞き止める。待て、待て。
「……お願いだから」
 睫の先まで、まるで生まれたての小鹿のようにふるふると震わせた彼が、今にも涙の粒を落としそうに潤んだ瞳を俺に向ける。下唇を噛み、何かを堪えているような表情に、俺は止めを刺されてしまった。
 二万? 安すぎる。
 俺は女だってこんなに美しい人間を知らない。金で人の躰を買うなんて考えてみたこともないし、人としてやって良いことだとも思ってない。長い歴史の中でそれを法的に禁じられたのはつい最近のことだけど、それはこの国が豊かになってきたからであって、俺はエンジョコーサイとか言って安易に金を得る馬鹿女どもに顔を顰めてきた筈だ。
 だけど、目の前にいる彼は事実金に困っている。
 豊かな日本社会の中にあって、だからこそ、金に困る人だっているんだ。
 そんな建前はともかくとして、これは据え膳ってヤツじゃないか? ここで逃げたら俺は一生後悔することになるんじゃないのか?
「俺のこと買ってくれる? ……良かった」
 自分を正当化しようとする理屈を幾つも並べ立てながら、俺は知らずの間に首を縦に振っていた。その瞬間彼は潤んだ瞳を細め、花の蕾が綻んだように笑った。
 この細い肩を力いっぱい抱きしめることが出来たら、俺の人生には一片の悔いもない、たった今すぐ死んでも良いとすら思えそうな気がする。
「じゃあ、早く行こう」
 何処へ、と間抜けな質問をしそうになる俺の手を、彼の細い指が絡め取った。
 俺が彼の前に立ち止まるまで、彼はいったい何時間あの場所に立っていたんだろう。彼の指先は冷たくなっていた。俺はそれを少しでも暖めることが出来るように、恐る恐るその手を握り返した。

 この辺のホテルなんかあったっけ? と、俺がホテルに無縁の寂しい発想を展開している内に彼に腕を引かれ、俺たちはあっという間に小奇麗なラブホテルの一室に収まっていた。
「ねぇ」
 半分つしよう、と無邪気な笑顔に誘われて冷蔵庫から取り出した缶ビールのプルタブを引きながら、彼が首を傾げた。
「名前なんて言うの?」
 空けたビールに口もつけずに、彼はそれをいきなり俺に勧めてきた。先刻からどぎまぎしっ放しで咽喉がからからに渇いていた俺は有難くそれを頂戴して、一口飲み干す。まだ日も落ちていない内から飲むビールはそれじゃなくても格別なのに、こんな夢の中でも会えないような美しい顔を拝みながら、緊張のあまり乾ききった咽喉を通り過ぎていくビールの清涼感は堪らなく心地良かった。
「俺はね、トムとか、トーイとか、呼ばれてるよ」
 彼は俺にビールを手渡した手についた水滴を払いながら、ベッドに掛けた俺の隣に腰を下ろした。
 あ、いかん。ドキドキしてきた。
 俺は胸の鼓動を、すぐ隣まで近付いてきた彼に悟られないように更にビールを呷って押し隠そうとした。まるで、初めて女を抱く時のような気分になってきた。
「本名が、藤井武っていうんだ。だから、フジの字とタケルの字を取って、トム。フジイを読み変えて、トーイ、とかね」
 ふわふわと風になびく髪を揺らして、彼が俺の顔を振り向く。
 手を伸ばすまでもなく、ベッドの上に何気なく突いた手を少しずらすだけで、すぐに触れることが出来る位置に、俺が今までの人生で見たこともないような絶世の美人がいる。
 美人って言葉に女も男も関係ないんだって、俺は今日この時まで知らずに生きてきた。
 若葉の上に落ちた早朝の露のように澄んだ瞳。細い筆でそっと撫で下ろしたように造られた鼻筋。触れたら蕩けてしまいそうなほど愛らしい唇。
 ……こんな、天使か妖精みたいな人を俺が抱けるのか? いや、抱いて良いのか?
 大体男同士のやり方なんか知らないし、こうして話しているだけでも充分だ。それで二万なり三万、払ってあげれば彼にとっては一番良いんじゃないのか?
「あ、……俺は、沢村キョウ。響、って字を書いてキョウって読むんだ」
 俺はビールを半分以上飲み干してからようやく、声を絞り出した。平静を努めるあまりやたらと上擦った声になってしまったが、表情だけは何とか引き攣らずに笑うことが出来た。
 ふぅん、と呟いて彼はじっと俺の顔を覗き込んだ。
「……何?」
 まさかそんなところで会話が途切れるとも思っていなかった俺は彼の瞳に捕らえられて動けなくなった蛙のようにたじろぎ、口端を凍りつかせた。
 彼は俺の顔を凝視しながら徐々に俺との間に置いた距離を詰める。俺が上体を逃がし、彼を制しようと掌を掲げて見せても彼は構わずに俺ににじり寄ってくる。逃げる俺、追い詰める彼。
 やがて、俺は彼に押し切られるようにしてベッドに横たわっていた。
「キョウ、か」
 彼の唇が呟く。桜色ってこういう色のことを言うんだろうな、というくらい見事な薄紅色の彼の唇が、視界一杯に広がったかと思ったら、――キスをされていた。
「……ッ、」
 唇が触れ合ったかと思ったら次の瞬間には彼は舌をねっとりと俺の唇の上に這わせ、表面を濡らしながらその谷間に押し入ってきた。熱く甘い舌の表をいっぱいに使って、俺の歯列を舐め上げる。
 目を開けたまま身体を強張らせた俺の前には彼の長い睫が伏せられていた。嫌そうに眉を寄せるでもなく、まるで眠り姫のように涼しい顔で俺の唇を塞いでいる。
「ん、……ン・む……ぅ……ふ、ん……ン」
 俺の髪に指を滑り込ませ、掻き乱すように抱きながら彼は俺の唇を貪る。唇を捩じらせて顔の向きを左右に変えながら、歯列を開いた俺の口内に舌を伸ばして、彼は俺の腰の上に跨ってきた。
「ンん、――……ッん、……ン」
 恐る恐る俺が、彼の背中に腕を回すと彼は鼻腔から甘い声を漏らし、俺の舌に纏わりついてきた。下半身に奉仕する連想を起こさせるような器用な舌遣いで、俺の舌を裏から舐め上げては唾液を啜り上げる。
 俺は骨の芯まで彼に舐め回されているような気分になってとろとろと瞼を落とした。腕を回した彼の身体は案の定か細く、儚げで、俺の顔の上に掛かった柔らかい髪からは良い匂いがした。俺の舌にねっとり絡んだ唾液は甘く、俺はそれだけでもう充分夢見心地になっていた。
「……ね、ひびき、って呼んで良い?」
 ようやく唇を離した彼が、互いの間に糸を引いた唾液を吸い上げてから顔を上げる。俺の腰に跨ったまま、肌の上に纏ったシャツのボタンを、彼は自分で外し始めた。
「あ、っ……あのさ、あの」
 別にセックスしなくてもいいんだ、こんな綺麗な人と一緒にいられるなら、ただそれだけで。金はきちんと払うし。――という事をしどろもどろになりながら俺が説明をすると、彼はシャツのボタンに指をかけたまま、暫く黙って俺の拙い言葉に耳を傾けてくれた。
 しかしその表情は次第に暗く翳り、しまいには俯いてしまった。
「あ……いや、あのさ、別にホモがどうのこうのっていうんじゃなくて」
 こんなに綺麗な相手なら、男同士だってことは何の気にもならない。たとえその胸に大きな乳房がなくたって、肉付きが薄くったって、その滑らかな肌に口付けることを考えただけでもかなり興奮してしまいそうにはなる。
 でも、彼が望んでいないことを、俺が金で自由にしようなんて、どうしたって卑劣な行いにしか感じられない。
「俺だって、別に……男の人にいやらしいことされるのが好きで、こんなことやってるわけじゃないんだ……。でも、俺、すごい借金抱えてて……普通の仕事なんかじゃ到底返せるような額じゃなくて、犯罪にならない程度で、大金を稼ぐ仕事って、こんなのしか思いつかなくて……、だから」
 彼はシャツの前を肌蹴たまま、その下の薄い身体を震わせながら声を涙に濡らして必死に訴えた。俺はその肩を抱いて慰めようか、いや、と両手を宙でさまよわせながらうろたえるばかりだった。
「いや、だから、金は払うよ」
 少なくとも俺と会話をしているこの時間、俺は彼の「仕事」を邪魔してるわけだし。その「仕事」代を払ったと思えば良いわけで。
「……響は、俺のこと、汚いと、思う?」
 鼻に掛かった彼の声に、俺はえ? と間抜けな声を上げて聞き返した。
 綺麗だと思いこそすれ、どうして汚いわけがあるんだ?
「たくさんの男の人に抱かれてきたんだもん、響みたいにちゃんとした人には、汚いと思われたって仕方ないよね……」
「そんなことないよ!」
 俺は反射的に声を張り上げて、否定していた。
 彼の言葉を掻き消すように、彼がそんな馬鹿げたことを思う気持ちすら吹き飛ばすように。
 そうじゃない。やれるもんならやってみたい。
 こんな美しい人の躰を開いて、悶えさせて、啜り泣かせて、イかせてみたい。男なら多分誰だってそう思う筈だ。確かに彼は男だけど、それでも男とか女とかそういう垣根を越えたフェロモンを持っていると、俺は思う。それを彼に告げたところで彼は嬉しくも何ともないだろうけど。
 だけど、例えば俺と彼がこんな風な出会いをしなかったら、俺は彼のことを高嶺の花だと諦めて、しかも男だしなんていって自分に逃げ道を作って、しまいには男の癖にあんなに綺麗な顔をして、なんて影で揶揄ったりして、接点を避け続けるんだろう。
 こういう出会い方をしたからこそ、俺はこうして彼とキスなんかもしてしまったんだ。
 そんな情けない俺が、彼を抱くなんてことが出来るものか。たかだか数十時間バイトをしただけで貯められるようなはした金で彼の人権を虐げて、何が楽しいんだ。
「俺、……響に抱いて欲しいって、思ったんだ」
 俺に表情が見えないほど深く俯いたまま、彼はそう呟いて、自嘲的に笑った。
「気持ち悪いよね? こんなの。男にこんなこと言われたって寒気がするだけだよね。……ごめんね。でも、響の事を見た途端、俺――……」
 彼は涙をしゃくりあげるようにして、一旦言葉を飲み込んだ。俺は堪らずに彼の肩に手を置き、慰めるように小さく擦った。
「……俺、普段は中年のおじさんばかりを相手にしてるんだ。二万なんかじゃさせないよ、高いお金払ってくれる、地位のあるおじさんを捕まえて……いろんなこと、させてる。あ、響が貧乏そうだとかそういうこと言ってるんじゃないよ。
 俺、響にキスされたり、抱きしめてもらったり、……もっといろんなことしてもらえるなら、お金なんか要らない、……本当はそう思ってるんだ。でもそんなことあの場で言ったら、うわっホモだ、なんて、響に相手にすらしてもらえないでしょ?」
 彼は涙で赤くなった瞳をちらりと俺に向けて、寂しげに微笑んだ。
「ごめんね、騙すみたいな真似して……。……気持ち悪いよね、いいよ、帰って……。勿論お金なんて要らないよ、響に気持ち悪い思いさせちゃったんだもん。……こんなホモ野郎とキスしたの、後悔してるでしょ」
 彼は強がりを言うように笑い声を漏らしながらそう言ったが、早口で捲くし立てた言葉の最後の方には両手で顔を覆ってしまった。彼が身を縮ませると、俺の手で握り潰してしまえそうなほど細くて、この世で一番優しいもので包んであげないと壊れてしまいそうな、何か俺の手には負えない儚さを感じた。
 泣かないで欲しい。俺は彼が言うようなことは何一つ思っていない。それを彼に優しく告げて慰めてあげたいのに、俺は彼のように脆く美しいものを包むのに相応しい優しいものを何も持っていない。
 ただ、違う、違うと心の中で必死に首を振る。本当はそんな訳がないと怒鳴り返してやりたい気持ちでいっぱいだったけど、怒鳴り返しなどしたら目の前の美しい人が弾けて飛んで、消えてしまいそうだった。
「……ごめんなさい……」
 何も言えないでいる俺に、触れたら消える、シャボン玉のような小さな声で彼が呟いた。
 かっと、頭に血が上った。
 次の瞬間俺は何も考えられなくなって、目の前の彼の肩を両手で掴むと、躰を反転させ、スプリングの硬いベッドの上に彼を押し倒していた。
「……響……!?」
 顔を覆った彼の手が外れ、真っ赤な彼の瞳がまん丸になって俺を見上げている。その、無防備な唇を今度は俺から、塞いだ。
「んン、……っ……、ん」
 顎先を震わせ、俺にいきなり組み敷かれた躰を小刻みに震わせながら彼が甘い声を吐く。
「ひび、……ッき、響ぃ……」 
 呼び慣れた恋人の名前みたいに、唇を重ね直す短い間に彼は何度も俺の名前を囁き、俺の唇を求めるように舌を伸ばした。彼の上にのしかかった俺の躰にするりとその細い腕を回し、彼は身を摺り寄せながら俺の舌を、深く深く求めてくる。
 それはまるで運命の恋人にようやく会えたとでも言うような切実な焦がれにも思えて、彼のように美しい人にそんな風に求められることは、俺の気持ちも性欲も、一気に昂ぶってしまった。
 「響、いいの? 本当に俺を抱いてくれるの?」
 俺の着けた小汚いティーシャツを縋り付くように握り締めて、彼はまだ不安そうに俺の瞳を覗き込んだ。潤んだ瞳はまだ赤かったけど、どこかうっとりとしているようですらあった。
「ただし、金は払うよ」
 金のために彼が躰を売るのなんて嫌なことだけど、俺が少しでも手助けをしてあげることで、彼がこんな仕事を早く辞めることが出来たら良い。
 俺みたいな何の取り得もない男が、彼とこの先もどうかなろうなんて考えもしないことだけど、彼には幸せになって欲しい。俺には二万くらいしか払えないけど、それでも彼のために何かしてあげたい。
「……俺、男に対して、なんてやり方判んないけど……」
 俺はとりあえず彼に促されるままティーシャツを頭から抜き、シャツを肌蹴た彼の胸に鼻先を埋めた。彼は湿っぽくなった頬を掌で拭いながら俺の顔を見下ろすと、暖かな春の木漏れ日のように微笑む。
「じゃあ、響。……俺、響の欲しいな……。響の、食べちゃいたい」
 当然のように平らな胸に唇を這わせた俺の頬を両手で包むと、彼は魅惑的な唇をぺろりと自分の舌で舐めて、誘惑して見せた。
 思わず呼吸をするのも忘れてその表情に見蕩れた俺に、彼はベッドの上で体勢を変えると俺の下肢に向かって行く。
「え、あ、いやそんなこと、……しなくて、良いから」
 思わずしどろもどろになって彼を制しようとするものの、その気になっている俺の下半身は当然大きく隆起して、彼の濡れた舌を脳裏に描くだけで自らの腹を打つほど硬く反り返った。
「ううん、俺が、……したいの。響に、たくさん……気持ち良くなって欲しいから」
 俺の腰に手を掛け強引に仰向けさせると、彼はそう言うなり、大きく口を開いて――俺に見せ付けるように、ぱくりと亀頭を銜え込んだ。
「――!」
 準備万端を誇示するように赤い部分を露出させた俺の肉棒は、彼の柔らかい唇に包まれるとただそれだけで暴発してしまいそうなほど敏感に彼を感じ取った。
 彼は、一度だけ俺を上目で仰いで表情を窺ったが、すぐに口淫に没頭するように瞼を伏せ、口いっぱいに俺を頬張り始めた。
 彼の滑らかな頬が内側から俺の勃起に押し出されて歪む。言葉を失い、ただ奥歯を食い縛る俺の先端から先走った汁を啜るように彼が頬を窄めるとその中に包まれた男根の形がはっきりと判るんじゃないかというくらい彼は熱心に俺の肉棒を吸ってくれた。
 仲間内ではちょっと自慢になるくらいの大きさを誇る俺のものを咽喉の奥まで銜えながら、彼は唾液をたっぷり含んだ舌を伸ばしてその裏筋を艶かしい生き物が這うかのようにねっとりと舐め上げる。
「ふ、ぅ……ッ、ぁ・っ」
 思わず身を仰け反らせて喘いでしまった俺の反応に、彼は大きく開いた唇を左右に引いて小さく笑った。
 片手で俺の勃起の下に繋がった陰嚢を転がしながら、一方の手で彼は自分のものを慰め始めた。俺はそれに気付きながら、男に対してどうしてあげたら良いか判らなくて何も出来ずにいた。
「ン、ん・む……ッひび、き、……気持ち良い?」
 息苦しいのか、目元を赤く染めた彼が一度唇を上げると、俺のグロテスクなまでに充血した肉棒と彼の舌の間に唾液の糸が引いた。彼はすぐにそれを啜りながら、俺の答えを待たずに目の前の勃起を横様に咥え、根元まで唇を往復させる。
 彼の鼻腔から漏れる甘い吐息も、彼の口元――俺の股間からたつ粘っこい水音も、俺は目の前が真っ白になるくらい欲情してしまって、何も考えられなくなってきていた。彼の繊細な髪に指を絡め、彼が顔を前後させるのに合わせて、或いはそれよりも半ば強引に、俺のものを悦ばせるように強いる。彼は呻き声一つ上げず、ただ切なげな喘ぎ声だけを時折零しながら、細い咽喉に突き刺さる俺の怒張を愛撫してくれた。
「すっごく、美味しい、よ……響、の……っ・ねぇ、俺も……俺も、気持ち良くして、……お願い、響」
 俺がとろとろと溢れさせる先走りの中に苦味を混じらせ始めた頃、彼は大きく顔を上げて自分の唇に滴り落ちた唾液を拭った。
 あと少しで達することが出来た俺は名残惜しく彼の顔を見詰めたが、彼はすぐに俺の躰の上を這い上がってきて、仔猫が甘えるように俺に頬擦りをした。胸を合わせた躰が熱い。彼もまた、俺の勃起を口にしながら興奮してくれていたのかと思うと俺は、劣情とは違う部分で気持ちが熱くなるのを感じた。
「響、……お願い。俺、響が欲しいよ……」
 抱き合うように身を重ねながら、彼が切ない声で囁く。鋼のように硬くそそり立った俺の下肢に、彼が腰を摺り寄せてきた。
 彼がずっと、自分の手で解していた双丘を宛がわれて俺は思わず息を飲んでしまった。本当に彼と、繋がることが出来るのか。それは戸惑いでこそあれ、嫌悪などこれっぽっちも感じなかった。むしろ、急いていた。俺が彼を良くしてあげられるなら、腰が砕けるまでだって突いてやる。
 俺は尻を揺すってねだる彼の腰を抑えると、下から狙いを定め、一気に腰を突き上げた。背後に手を回していた彼が俺の勃起を支え、ずぷり、と音がしそうなほど狭い後孔に俺の怒張を突き立てる。
「ぁ、……ッ響、でっかいの、……響の大きいの、くる……ッ」
 俺の肩にしがみついた彼が、ぶるっと背筋を震わせながら喘いだ。痛がっている風ではない。俺ははやる気持ちを抑えきれずにそのまま腰を突き上げた。きつく窄まった孔の中に俺の、ガチガチに張った亀頭をねじ込むと、彼は上体を捩りながらも俺から逃れようとはせず、恍惚とした表情を惜しげもなく曝す。
「あぁ……っ、あ・ひび、きぃ……ッ・響の、すごい……ッ、もっと、もっと……っいっぱい、俺のこと、いっぱいにして、響――……ッ!」
 彼が背を大きく仰け反らせると、必然的に大きく沈み込んだ彼の尻の中に俺がますます埋められていく。その度に彼は全身を引き攣らせ、口を丸く開いたまま声もなく悶えた。俺が、彼をこんな表情にさせているのかと思うと俺は体中の血液を下半身に注ぎ込んで、夢中で腰を揺すった。
「ぃ、ア……っ! ひび、や、……ぁあッ、あ、アっ……! すご、……ぃい……っ! 凄い……っひびき、凄い、っイイ……いいよう、すご、ぃ……あ、ンぁ、あ、ん……あ――っ……!」
 これ以上ないほど漲った俺の怒張の上に跨った彼は、我を失った発情期の猫のような甲高い声で鳴きながら、自ら腰をグラインドさせた。俺は彼の腰を乱暴に掴んだまま、彼の求めるままがむしゃらに腰を突き上げる。彼のイイところは最初の内こそ判らなかったけど、彼が積極的に尻を揺すってくれるお陰でなんとなく判ってきた。腹の方の一部分だという漠然な感覚だったものが、重点的にそっちを責めると彼は俺の腰を挟み込んだ両腿をビクビクと痙攣させて、イったのかと思うような反応を見せる。俺は蕩けるように赤くなった彼の顔を見上げながら、時折焦らし、時折酷く虐めるかのようにめちゃくちゃに彼の性感帯を擦り上げた。
「ぃやぁあっ、ひび、……っき、ヤ、ぁ……っいじめない、で……っ! イク、イっちゃうよぅ……っ・俺、俺イっちゃうぅ……ッ! イク、もう駄目、出ちゃう、でちゃうぅっ……! だめ、や、あ・ァっぁ……!」
 俺の眼下で男の象徴である勃起を小刻みに揺らしながら、彼は啜り泣くような声で俺に懇願し――大量の精液を吹き上げ、果てた。
 
 彼の達した後、間もなくして俺の彼の中に濃い迸りを流し込んだが、その間にまた彼は全身を痙攣させながら絶頂に達し、それから体位を変えて、二度も俺たちはイキまくった。
 久し振りに人と触れ合ったかと思えば、吐き出す精液がさらさらになるほど何度も致してしまって、俺は殆ど気を失うように、眠りに落ちた。
 短く、濃く、幸せな眠りから俺が目を覚ますと、ホテルの明かりはすっかり暗くなっていた。
 枕もとの時計を探し、文字盤の針に目を凝らす。時刻は夕方の四時を指していた。
 休憩時間は何時までだったかと慌てて身を起こすと、傍らに彼の姿は、もうなかった。
「――……」
 まるで天から使わされた美しい妖精がその姿をぱっと消してしまうかのように、ベッドの脇に脱ぎ散らかした服も俺のものを残すばかりで、彼がいたという痕跡すら、俺の手に残る彼の感触以外に何もない。
「あ、……」
 気だるい腕を伸ばし、下着を取り上げようとした俺の視界に映った一枚の紙は、ホテルに備え付けられた簡素なメモ帳だった。
 ――『もう二度と会うことはないと思うけど、一応礼は言っておく。ありがとう』
 書き殴ったかのような乱れた字で、短い一言。
 それが彼のものかどうかすら判らなかったけど、俺はそれを眺めながら自分の服を身に着けた。
 もしかしたらこのメッセージは彼の残したものじゃないかも知れない。あの綺麗な容姿にこの素っ気無い文章は連想し難かったし、何だか、字も乱雑だ。
 彼は本当にこの世のものではない何かで、俺が見た束の間の夢のような存在だったのかも、――なんて現実離れしたことは考えないけど、俺が寝ている間に姿を消してしまったなら、結局、金は払えなかった。
 一度きりの交わりが俺の心の中に永遠に残ることは確実だけど、どうか彼の心の中にも何か残してくれていると良い。
 もし、目を覚ました俺の隣に彼がまだ存在していたら、俺は何もかも捨てて彼を離したくなくなっていたかも知れない。
 瞼を閉じるとまだ、彼の甘い喘ぎ声も、俺の名を呼びながら絶頂に打ち震える彼の艶かしい表情も、鮮明に蘇る。
 俺は彼を思い出すことでまた高鳴ってしまう甘い気持ちを抑えて、ジーンズを腰まで上げた。
 ……アレ?
 尻のポケットに手を這わせる。
 念のため、腰のポケットも確認する。
 ポケットなどついていない、ティーシャツの胸を無意味に確かめても見る。
「……………………」
 数分間、ラブホテルの一室を静寂だけが通り過ぎた。
 数時間にも感じられる、重い沈黙の後で俺は、どっと額に汗が噴き出してくるのを感じた。
 ――やられた!
 真っ白になった頭を、鈍器で殴られたような気持ちだった。
 二万でも三万でも払うとは確かに言ったし、その言葉に嘘なんてなかったけど、財布ごとくれてやるなんて誰も言ってない!
 俺は部屋を転げ出るように飛び出すと、半分ほど仕切りを下げた薄暗いフロントに駆け込んだ。
 部屋番号を告げると、嗄れた声の受付は暢気に答えた。
「お部屋代なら連れの方に頂きましたよ、一時間も前に」
 俺にはもう、声もなかった。
 売春婦――夫、に財布ごとすられるなんてどんな三文小説の中の間抜け主人公だよ……
 俺はその場に崩れ落ちそうになりながら、彼の妖艶な微笑を思い浮かべていた。
 全く、……何てェ天使だよ……