深淵の天使(1)

 それこそ気まぐれなのか、本当に照れくさくてとても素面では言えないだけなのか、単にからかっているのか、それとも本気だからなのか、武は、セックスしている間とその直後だけ、俺のことを好きだと言う。
「い、ヤっ・ァ……あぁあ、もう、ッもうイっちゃ……! ぁ、イク、ゥう、う……ッ!」
 俺の腰に跨って、自分の薄い尻を押し付けながら躰をしきりに揺さぶっている武が嗚咽するような声で喘ぐ。
 根元までずっぽりと銜え込まれた俺の男根は武の肉壷にきゅうきゅうと緩急つけて締め上げられながら、既に二度、白濁を吹き上げていた。それでもまだ萎えることを知らない。
 武のこんなに白くて艶かしい、淫蕩な姿を見せられていたら勃起するなという方が無理だ。
「ア、――……っン、んん・っぅ、うー……ッんァっ、あっ、あ……!」
 大きく唇を開いた武が唾液の汁を垂らした舌を噛むのじゃないかと心配になるほど、俺は腰を突き上げた。俺の腹についていた武の腕が折れ、俺の躰の上で武の腰が跳ねる。びち、びちっと音をたてて濡れた肌が弾け合った。
「ひびき、ィい……ッ・も、もう……っイキそう? ひびき、も、イイ? ひびき、っァ・ひびき、の……熱いのちょうだい、いっぱい、俺の中にちょうだい……っ」
 武の頬には柔らかい髪の毛が汗で貼り付き、陶器のような白い肌の下は興奮のせいで赤く高潮している。俺の唾液なのか、武が喘ぎすぎたせいで嚥下しきれなくなった唾液が飛び散っているのか、或いは汗か、それとも先走りの汁なのか、イキすぎたせいで殆ど水のようになった武の雄汁なのか――……武の全身がぬらぬらと濡れ、妖しい光りを放っている。
 俺は武の腰を両手で乱暴に掴み、俺のそそり立てた杭の上に体重を預けた武の尻奥を掻き乱すように抉った。
「ヒ――……ッ! あ、ア、……ッひびき、すご・ィい……ッも、……っと! も……ッ……あ、あ……!」
 俺の胸にがっくりと首を折った武が俺に縋りつきながら、啜り泣いた。
 注文の多い奴だ。これが武の言ってた、"教育"ってやつなのか?
 先刻まではヒィヒィ喘ぎながら「いやらしい言葉で犯せ」なんて言ってたけど、確かに俺はセックスの最中無口な方だと思う。今まで付き合ってた女たちにだって、セックスの最中に囁いたりするようなことはどうも胡散臭くて、苦手だった。
「あっぁ、ん・あ――……! も、だ……めぇッ、ひび、ア……!」
 力をなくした武が背筋を引き攣らせて、身を捩った。内腿が痙攣し、俺の脇腹を締め付ける。もはや声もなくなるほどの快感に攫われた武が、今夜だけでも数え切れないほど射精を繰り返した肉棒を震わせてイってしまう。
 そのしどけない姿を目の当たりにして、俺も武の中に今夜三度目の精を解き放った。
 
「は、……あ、ふ」
 ぐったりと弛緩した武の体を、ベッドに横たえる。
 重そうな腕を持ち上げた武が、俺の首を捕らえようとするのを見ると俺は武が求めるままに唇を吸った。
「寒くないか?」
 布団なんかもうどっかに行ってしまった。ベッドの下には落ちてるだろうが、今は床を覗くのすらダルイ。
「……平気」
 寝言でも言うように正体をなくした武は、そう言いながらもぎこちなく俺を抱き寄せた。
「うん?」
 俺も素直に、その背中を抱き返してやる。胸がないせいだけだとは言えないくらい薄い武の体は、すっぽりと俺の腕の中に納まってしまった。
 薄暗い寝室で、武の、その性格に似合わないほど美しい躰を抱いていると、不思議な気分に陥った。
 男や女なんていう区別以前に、人間じゃないんじゃないかと思えるほど均整のとれた躰に滑らかな肌、これを抱いているのが俺だなんて、なんだか夢のように思えてくる。
 俺が何もせず、何も言わずにぼんやりとしていると、武はしきりに俺にキスを仕掛けてきた。
 武に訊こうものなら真面目に答えてはもらえないだろうと思うけど、武ってキスが好きなんじゃないかと思う。セックスよりも、キスのほうがずっと。
「武、……こら、武」
 じゃれ付いてくる仔猫をあやすように俺がいなすと、武は笑い声を漏らしながらしつこく唇を押し付けてきた。
 上唇、舌先、鼻、目蓋――首筋、鎖骨、胸。
「こら」
 俺は武の唇が下降していくのを引き止めるように、武の肩を掴んで俺の身ごと反転させた。顔を上げた武の唇を、俺の唇だけに縛り付けるように口付けながら、ゆっくりと体重を移動させて圧し掛かった。
「ん、……ン」
 鼻を鳴らし、ぴくんぴくんと喉を震わせる武の声に誘われて、俺は武の太股に掌を滑らせた。
 武の滴らせた蜜や、俺が注ぎ込んだものが溢れてぬるぬるとした腿は容易に熱くなって、俺の足に絡みつくように擦り寄ってきた。
「ひびき、だめ……」
 舌を舐めあいながら唇を開いた武が、吐息交じりの声で哀願する。
「『駄目』?」
 武の『駄目』は心配要らないんだって、もう俺は知っている。
「う、ン……っ駄目」
 俺は太股に這わせた掌を撫で上げさせ、武の膝を割った。足の付け根に向かって指先で擽るようになぞると、武は全身に鳥肌を立てて身震いする。
「だめ、っだ、ぁ・だ、めぇ……ッ」
 腿の裏、糸を引くほど濡れそぼった双丘に掌を到達させると、武は自ら腰を上げて俺の刺激を欲しがった。腰を左右に振って、体の奥から滲み出てくる疼きに悶えている。
「駄目じゃないだろ」
 赤く色付いた武の耳朶に唇を押し付けて囁き、俺は武の躰が欲しがるまま、アナルに指先を侵入させた。
「や、ぁっ・いっや……ぁン! あぁ、アっひびき、ひび、ァ、だめッ」
 俺のザーメンで満たされ、ぬかるみのようになった肉襞を指先で乱雑に掻き分け、三本もの指を易々と根元まで捻じ込む。武は下腹部をビクビクと震わせながら、俺の首に両腕を回して、決して離れようとしなかった。
「や、ンっ! あっ、あ・ひびきっ、ひびき、のっ意地悪、ぅ……っ!」
 ぐじゅぐじゅと粘ついた水音を漏らす穴の奥にあるしこりを指の腹で弄ると、武は喉を反らし甲高い声で鳴きながら、俺を責めた。その濡れた唇を塞ぐ。
 赤ん坊が母親に縋るかのような必死さで俺の舌にしゃぶりついてくる武は俺の髪を抱いた。
 駄目だ嫌だと言いながら俺を欲しがる武の嬌態に俺はまた熱くみなぎってきて、俺は武の唇を塞いだまま、濡れた肉穴から指を抜いた。
「んン――……っ! ん、ンぐ、む……ぅ、……んん……ッ!」
 いやいやと全身を揺さぶって俺の不在を拒む武に、俺は勃起した肉棒を宛がった。俺がすぐに犯したくなるって判ってるくせに、それでも武は早くもっととせがんでくる。俺はまたそれに煽られて、武を陵辱せずにはいられなかった。
「んあ……ッ! あ、っあ……! あ、ふぅっひびきぃッ、あぁっ、あ、ァ・あ」
 俺が腰をぐいと突き上げた拍子に、結んだ唇が離れた。武が状態を大きく仰け反らせて喘ぐ。深く深くに男根を突き入れて、先刻まで指先で丁寧に捏ねてやっていたしこりを亀頭で擦り上げると、武は激しく喘ぐことも出来ずに全身を激しく痙攣させた。
「あぁ、あ、ぁ……ア・ひびき、ひびき、ぃッ……もう、もう俺おかしくなっちゃう、よぅ……も、許して、もう許して……っ!」 
 武の目尻が涙で濡れる。弛緩した唇からは涎が溢れ、しゃくり上げるような浅い息が何度も繰り返されていた。
「『許す』? ガンガン突き上げて欲しいってことか?」
 武の垂らした涎を舐め取ってやりながら尋ねると、きゅう、とアナルが引き攣った。
 ……下の唇は素直、とはよく言ったものだ。
 俺は上体を起こして武の足を高く抱え上げると、爛れたように赤く色付いた結合部を眼下に見ながら、ゆっくりと腰を引いた。ねとーっと糸を引いた精液が俺の興奮を誘い、亀頭だけを武の中に埋めた俺の肉棒が打ち震えた。
 その震えが収まらない内に、一気に武の腹の内を貫く。
「――……ッ! ひ、ッ……ア……!」
 背後のシーツを握り締め、武は声にならない悲鳴を上げた。
 再び腰を引き、また叩きつける。抱え上げた武の尻を乱暴に打つように突くと、武の躰がベッドの上で徐々にずり上がった。その肩を押さえつけて、激しく抽送する。武は自ら腰を高く上げて、両足で俺の腰を抱いた。
「やだぁあっあ、あ……――ッ! もうだめ・ェ……ん! ひゃ、ん・っ死んじゃう、死んじゃうよ、ぅ、う……! そんなにしたら、ぁ・俺、だめ、なの……ぅっ許して、ひび、き――……ッ!」
 切なげに寄せられた眉。紅潮する頬、涙に濡れた瞳。俺は俺の肉棒に狂い喘ぐ武の肢体を見下ろして、自我を忘れるほど昂揚を覚えた。
 獣のようにただがむしゃらに、腰を前後させる。摩擦で、体温で、俺と武の肉という肉が全部蕩けて一体化してしまうんじゃないかと思った。そうなって欲しいと思った。武も同じように感じてくれているかも知れない。よがり狂った武は、俺の躰を内から外からきつく締め付けて拘束し、獣のような悲鳴を上げた。
「はぁ……っあ、たけ、……武、もう、イキ……そうだ」
 武に聞こえているのかどうか、俺はそう呻いて、白く泡立った武の尻穴に剛直をずっぽりと嵌めこんだ。これ以上はないというくらい深く繋がって、シーツの上で震えている武の掌を握る。
「ふ・あっ……ひび、き……っ、ひびき、ィ……っ一緒にっ、イ、一緒にイって……っいっしょ、に、イこ……っ」
 戦慄く唇でねだる武が言い終えるや否や、俺と武は殆ど同時に、果てた。

 暫くの間武は、失神しているのか眠っているのか、数分間微動だにしなかった。
 俺はその恍惚に汚れた表情を見つめて、ああ、やっぱりこいつは、なんて綺麗なんだろうと思った。
 だけどそれは以前までの気後れするような感嘆じゃない、どうしようもなく胸を掻き毟るような愛おしさに満ち溢れている。
「……ぁ、……ひびき」
 ふと、息を吹き返すように武が目を覚ました。当然目の前に躰を沈ませていた俺の顔を見つけて、舌足らずな声で呟く。
「大丈夫か?」
 最後の方は薄くなりすぎた精液すら出てこなくて、もう殆ど全身を硬直させるだけの絶頂だった筈だ。それだけイキまくった躰はそりゃあだるいだろう。
 武は、心配した俺に甘えるように身をすり寄せてきた。
「……大丈夫じゃない」
 おっと、憎まれ口だ。
 今日は「好き」って言わないのか?
「駄目って、言ってんのに……」
 不貞腐れたように言いながら、武はぷっくりと膨れた唇を俺の顎先に吸い付かせてくる。そこから漏れる吐息はまだ熱くて、甘い。目許は赤く色付いたまま、うっとりとした余韻を色濃く残している。
「本当は駄目じゃないんだろ?」
 俺が笑って言うと、武は擦り寄ってきた俺の躰にのしかかってきて、俺の下唇を食む。
「駄目だよう……俺、本当におかしくなっちゃうかも……」
 俺の髪を撫で付けながら、鼻先を擦り合わせてちゅる、ちゅると音がするほど唾液たっぷりのキスを交わす。
「ひびきが好きで好きで好きで、我慢できなくなっちゃうかも……」
「どんな風に?」
 上に乗った武の腰に俺が両手を回すと、武は安堵したような溜息を漏らして、俺の首筋に頬を伏せた。
「ずっと一緒にいたくなる」
 武の答えに、俺は小さく笑った。
「ずっと一緒にいれば?」
 こんな甘い会話が交わせるのは、セックスが終わった直後だけだ。一晩眠って、シャワーでも浴びてしまえばもう絶対無理。こんなムードにすらならない。やっぱり単に、照れてるだけなんだろうか?
「四六時中だよ? 仕事中も、遊びに行く時も、あと、お風呂も、トイレも」
 子供っぽい口調で言いつのる武に、俺は笑いが止まらなくなった。愛しさで胸の奥が擽ったいような感覚を覚える。
「トイレは困るけど、それ以外は良いんじゃないか? 武の好きにしろよ」
 こういう時の俺は、武にめっぽう弱いと思う。どんなにかでれっとした顔をしていることだろう。
 ……やっぱり、こんな俺を腹の中で笑うための、ただの気まぐれなんだろうか?
「そんなこと言っていいのか? 本当に俺の好きにするぞ。バイト先も一緒にして、毎日一緒に風呂入って……」
 可愛らしい脅迫を吐く武の言葉を、俺はわざと大袈裟に鼻で笑った。
「そんなの、武がずーっと俺のこと好き好きって言ってないと駄目なんだぜ」
 どうせ無理だろ、と意地悪く言うと、武は少し面食らったように顔を上げた。
「……ひびきは?」
 目を瞬かせた武は、少し考え込んでから、言った。
「え?」
「ひびきは、ずっと言ってて欲しい?」
 なんだなんだ、突然。いい感じの展開だな。
 俺は慎重に答えを選んだ。
「そりゃ、こういう時の武は可愛いと思うな」
 よいしょ、と掛け声を漏らして、武を抱いたまま躰を反転させる。
「俺のこと、好きって言ってみろ」
 武の腕が俺の首に回された。
「……すき。好きだよ、ひびき、好き……」
 そのまま引き寄せられて、キスをする。伏せられた目蓋が無防備で、俺はそこにも唇をつけた。
「可愛いな、なんて可愛いんだろうと思う。綺麗だとも思うし」
 愛しい。
「じゃあ、普段の俺は?」
 間髪入れずに問い返してきた武の声は拗ねていなかったが、俺は自分がうっかり口を滑らせた、と感じた。
「別人みたいだな」
 苦笑を浮かべた俺から、武が顔を伏せた。
「どっちが本当の武なんだ?」
 本当はからかっているのか、それとも全部本気なのか?
「…………っ」
 武は俺の問いに答えず、ぎゅう、と俺を抱きしめた。
 武が泣いた時に、俺が必ずそうするように。ただ黙り込んで、……そうすることで何かが伝わるのだと信じるように。