兄姦(1)

 箸の先が震えている。
 いつもならもう茶碗の半分ほどは平らげている筈の時間が経っているのに、兄の食は一向に進まなかった。さすがに母も気付いて具合でも悪いのかと尋ねた。
 兄の、伏せられた視線が俺をちらりと盗み見た。そ知らぬ顔でサラダを頬張る。兄は耐え切れなくなったように箸を置いた。
「うん、ちょっと……」
 確かに声も弱く、顔色もおかしい。額には脂汗が浮いているし、悪寒を感じているかのように時折背筋を震わせている。
「大丈夫?」
 俺は兄の向かい側の席でそんな兄の様子を伺った。
「風邪でも引いたんじゃないの」
 俺が尋ねると、兄は弱々しい動きでそうかもしれないと小さく頷いた。
 母が最近気温差が激しいから、と眉を顰め、父にも気をつけないと、と注意を促した。リビングダイニングのテレビではナイターが実況されていて、父は家族の会話など耳に入っていない様子だ。
 俺はテーブルクロスの下で誰にも悟られないように足を上げ、具合悪そうに顔を伏せている兄の椅子を軽く揺らした。
「っ!」
 声にならない短い悲鳴のようなものを、兄が唇を噛んで堪えながら体を震わせた。
「どうしたの? ……休んできたほうが良いんじゃないの?」
 ご飯はとっておいてあげるから、と母が自分の箸を置いて兄の顔色を覗き込んだ。俺は元通り脚を組んで黙々と飯を平らげる。
「あ、……うん、そうするよ」
 母から顔を背けるようにした兄が慌てて答える、俺がその表情をちらりと見遣ると、兄も伺うように俺を見ていた。俺の「命令」を待っているように。
「後で薬もってってやるよ」
 俺が告げると兄もほっとしたように椅子を恐々と立ち上がる。テーブルを押し遣るように突いた手が震えている。テーブルを離れて二階の自室に戻る、それだけのことが彼にとってどんなに大変か知ってるのは俺だけだ。
「本当?潤樹、助かるわ」
 兄の皿にラップを掛けながら母は総合感冒薬が良いかしら、と一人でぶつぶつ言っている。いつもは文句の多い母も今日はご機嫌だ。兄のことは心配だろうが、大学生にもなった息子がちょっと具合を悪くしたくらいで自分の予定を崩す親もいないだろう。
「じゃあ、……お先に」
 おやすみなさいと消え入るような声で兄がリビングを離れる。重い体を引き摺るような、如何にも具合の悪そうな様子だった。
 俺の茶碗にはまだ飯が残っているし、おかずもまだまだ食い足りない。「薬」は後で持って行ってやれば良いだろう。
 時間を置けば置くほど、有難みが増すだろうし。

 延長した野球中継を見ながらデザートに西瓜を食べ、それから母に急かされるように俺は風邪薬を持って兄の部屋に向かった。
 兄の分の西瓜は冷蔵庫に入れておくから、という母の声が背中を追ってくる。適当に返事をして、自分の部屋の向かい側にある、同じ色の扉をノックする。
 返事はなかった。
「兄貴? ……入るよ」
 鍵のついてない扉を言葉の途中で開く。
 豆電球も点けられていない真っ暗な部屋にはカーテンも締め切られ、真っ暗だった。ベッドが膨らんでいる。大人しく眠っているのか。
「……兄貴、……起きてるんだろ?」
 俺は手に持ってきた風邪薬を兄貴の机の上に置く。後で捨てておかなければ。
 呼んでも、兄は布団に包まって返事すらしない。俺は大袈裟に溜息を吐いて見せた。
「仕様のねぇ奴だな」
 掛け布団を掴んで乱暴に引き剥がす。兄は、白いシーツの上で丸くなり、熱い息を押し殺していた。だぶついたハーフパンツにティシャツを着けたまま、粟立たせた肌にしっとりと汗をかいて震えている。
「ずいぶん高熱みたいじゃん」
 自分の体の奥から沸き起こってくる震えを押さえ込もうとするかのように唇を噛み締める。俺が見下ろすと、濡れた睫を上げて上目を向けた。
「オクスリやろうか」
 引き剥がした布団を床の上に放り、訪ねると兄は大きく頷いた。何度も何度も、頷く。
「バ○ァリンが良い、それともコン○ック?」
 一階から運んできたのはそれしかないなぁ、と惚けて言うと兄は今度、首を左右に振った。
 シーツを握る指先が白く失血し、小刻みに震えている。ハーフパンツから覗いた腿の内側はピンク色に上気し、足の付け根から僅かに湿っているようだ。
「ちが……っ」
 ようやくか細い声を絞り出す。
 俺は薬に伸ばした手を止めて、兄を振り返った。
「ちが、う……」
 顔を伏せて、ひたすら首を左右に振る。次第に体を上下に揺さぶり始める。
「俺が、欲しいのは……、お注射、です……ッ」
 赤く熟れた唇が戦慄きながら言葉を紡ぐ。部屋の明かりが消されていることを俺は悔やんだ。
「お注射って何のこと?」
 兄が悩ましげに吐息を漏らした。上下に揺さぶった腰を、今度はシーツに擦り付け始める。ハーフパンツの縫い目にじわりと染みが浮かんだ。
「潤、……潤樹の、おちん、ちん……」
 兄は決して自分で自分のものを弄ろうとはしない。それは俺が躾けたことだ。兄はお仕置きが好きなくせに、従順でもいようとする。要するに欲張りなのだ。
「俺のチンコで兄貴の風邪が治るの?」
 今度は首を上下に振る。忙しい頭だ。