甘いくちびる(8)

「愛の三倍返し」
 一ヵ月後、女の子達にそれぞれ貰った量から計算して三倍の量のチョコレートを返して回ると女の子達から怒りの声が上がった。
 そりゃそうだ、大量のチョコレートなんて食ったらにきびできちゃうもんな。でも何だかんだ言って女の子達は友達同士でチョコを分け合って食べていた。これが一番外れがなくて良いと思うし、来年からチョコはやめてくれるんじゃないかなーと。
「あたしのおまけ分は?」
 坂巻が大きなチョコを見下ろして催促するように手を伸ばしてきた。そのふてぶてしい態度が冗談だってことが判っているから、俺は大袈裟に辺りを見渡して
「……消しゴム三つくらいつける?」
 と返した。
 何で消しゴムなのよ、と坂巻が食って掛かってくる。
「ほら、来年受験生だしー」
 実用的なものには実用的なもので返さないとね。
 坂巻に殴られる、と大袈裟に頭を庇った俺の手をぺチンと叩いて坂巻が呆れたように笑った。
「そっか、来年受験かぁ」
 そんなやり取りを見てるんだか見ていないんだか、泰明がぼんやりと呟いた。なんて悠長なのこの子は。皆必死こいて担任と面談してるって言うのに。
「あきは大学行くの」
 坂巻から逃げるようにして泰明の机に両手を置いて従順な犬のように腰を下ろす。
 あれから、特に拒まれもしない。否定されない振られない。
 もしかしたら泰明が俺の初恋で、俺はこの先泰明から答えを貰わないで、いつまでも忘れられなくなるのかも知れない。
 そんな想像をしてしまう。
 泰明の思い出に自分を入り込ませようとしている。柄にもない。
「いや?行かないけど」
 柘植は、と聞き返された。
 俺は頭も良くないし、ギターの専門かな、と漠然と思っている。
 好きなことが好きなだけ出来る時間なんて限られてる。もういい加減、自分の将来を考えなくちゃいけないんだろう。
 でもその選択肢の中にギタリストはない。職業にするつもりはない。それを中途半端だと言う友達もいるし、好きなことと仕事は違うよなと納得する友達もいる。どちらも俺の気持ちとは違う気がしていた。
 俺はギターを好きなだけだ。
 多分、泰明を理由もなく好きなのと同じだ。
 坂巻が俺を見ているのを感じる。俺が泰明を好きなことを、坂巻は知っているかも知れない。まさかと思っているかも知れない。
 俺は泰明を、坂巻と同じような眼で見ているんだろうか。
「あ、そうだ」
 五時間目のチャイムが鳴る。その音に掻き消されそうなタイミングで泰明が口を開くので、俺は思わず耳を寄せた。
「柘植、今日お前んち寄って良い」
 今日バイトないの、と聞き返そうとして
 俺はさっきまで自分が女の子達にチョコレートを返していたことに気付いて、思わず無言で泰明の顔を見た。
 教室の扉が開く。先生が入ってきた。俺は躰を自分の机に帰らせようとしながら、泰明の顔から目が離せなかった。
「今日、ホワイトデーだし」
 泰明はそんな俺のうろたえぶりを可笑しそうに笑って、小さな声で言った。