LEWD(1)

 待つ人のない、暗い部屋に帰ると私はまず灯りを点ける前に煙草に火を点した。二、三度紫煙をふかした後、部屋の灯りをつける。何故かそういう癖があった。
 仕事は五時半には切り上げて、七時前にこのマンションの一室に着く。
 煙草を一本味わった後、冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、それを片手に机の上のパソコンの電源を入れるのが私の夜の過ごし方だった。
 パソコンをつけるのは一連の流れのような物で、テレビを好まない代わりにインターネット上のニュースを拾い読みしたり、気分によっては株価の動きを見ながら実際には買わない株取引を愉しんだりした。
 メールアドレスは会社の物がメインだから、このパソコンに届けられる物と言えばDMくらいのものだ。それでも私は週に一度くらいは受信してメールサーバーを掃除するのだった。
 部屋の中に生活用品は殆どない。白けた壁に囲まれた部屋にはこのパソコンデスクと、申し訳程度に揃えられたテーブルセット、ベッドとクローゼット。タワー型の灰皿と冷蔵庫。備え付けのシステムキッチン……私がこの部屋に越してくる時に持ち込んだのは灰皿だけだが、直ぐに生活出来るようになっていたし今もそんなに物が増えたとは思えない。このパソコンくらいだ。
 購入した当初は会社のパソコンでは憚られるようなホームページを開いてみたりしたが、一ヶ月もしない内に飽きてしまった。今思えばあの時は寂しかったのだろう。
 学生時代に結婚した妻と別れて、私はこのマンションに越してきた。妻との間に子はなく、セックスの面でもあまり満たされていた関係ではなかった。私はあまり女性を多く知らなかったし、妻は自分を女として見られることを疎んじていた。彼女に対してぎらぎらとした性欲を向けることは禁忌だと思っていた。
 結婚生活が三年目に差し掛かって間もなく、彼女が妊娠した。父親は私ではなく、彼女の会社の上司だった。私達は何のわだかまりもない顔をして別れ、彼女はシングルマザーとして子供を産み落とした。
 彼女は知らなかったかも知れないが、私だって彼女を無理矢理のように孕ませた上司と同じだ。その上司以上に若さもある。いつだって滾るくらいの性欲を持て余していたのだ。
 妻を失った私に同僚が風俗の店を紹介してくれて二度ほど通った。しかし店の女性の媚びる態度は私自身を通り越してその奥のサービス料金しか見えていないようで、直ぐに興味を失ってしまった。穴さえあれば良いというのではない。私を興奮させるのはエロチシズムなのだ。
 
 時計の鐘が夜の九時を打った。そろそろシャワーを浴びて眠りに就く準備をしなくてはならない。
 私はパソコンの電源を落とす前にメーラーを起動させた。前に受信をしたのは水曜日だから、丁度一週間ほどの間を置いたことになる。
 送受信のボタンを押すと、パソコンが八通のメールを受信し始めた。受信した先からサブジェクトを読んで内容に宛てをつけていく。中には私が行かなくなった風俗店からのお誘いも含まれていたが、開封せずに削除することに迷いは生じなかった。
 最後に受信した、八通目のサブジェクトが空欄になっている。ウイルスを貰ったのかも知れない。送信者の名前はlewd、となっている。
 その名前だけを見ると、半年も前に行かなくなった風俗店から顧客リストが漏らされたんじゃないだろうかという不信感を覚えた。
 lewd、淫らな、猥褻なという英単語だ。風俗の情報でなければ無作為に送られてくる即物的な内容のDM、或いはやはり人間の性欲を利用した名前のウイルスメールだろうか。
 いつもならば迷わずに削除してしまうところを、私は暫くその発信者の名前に見入っていた。他の不要なメールを削除しても、その一件は消せずにいた。
 煙草を新しく銜え直して火を点す。即効性のあるウイルスには未だ遭遇したことがない。もしも開いた後ウイルスだと思えば駆除すれば良いだけの話だ。
 私は何故か心に引っ掛かるその発信者の名前の上をポインタで二三度なぞってから、クリックした。