LEWD(2)

 lewdからのメールはhtmlで構成されたメールで、開くのに時間を要したがそれがウイルスの類でないことは直ぐに判った。メールには画像がたくさん貼られていて、しかし成人向けのサイトを訪問することを促すような内容の宣伝でもなかった。
 メールの何処にもURLの表記はなく、画像の被写体もセルフポートレートらしいアングルで映された素人らしいものだった。顔は映っていない。主に下半身をカメラのファインダーに見せつけるように開いて、そうすることで明らかに興奮しているようだった。
 メールの本文は僅かに一行。
 “僕を犯して下さい。”
 lewdは肉棒を勃起させた、男だった。

 私の会社は世界でも名の知れた日本車を作っている。ライバル社が次々と外資系企業と提携を組む中で我が社だけが頑なに純日本を気取っていることで世論では賛否両論あるらしいがこの春に社員が大幅リストラされてからは特に給料の激しい降格もなく、私のように残業しないで定時内で仕事を済ませることの出来る人間には何ら不安のない会社だと言えた。
「そんなこと言ったって、お前だっていつ首切られるか判ったもんじゃない」
 同期で部長まで出世した若林が盛り蕎麦を啜りながら相変わらずの渋面で言った。
「切られたら切られた時だよ、会社だって人がいなければ機能しないんだ」
 要らない人間だと切り捨てられることを恐れてはいない。私自身これと言って会社にとっての有益な働きをしているとは思えないし、特別実績の悪い人間を振り落とした後で更に人員を削ろうとすれば私のように可もなく不可もない人間を落としていく他ないだろうと覚悟はしていた。私には守るべき家族もない。自分一人食えないだけなら何とでもなる。
「お前なぁ」
 若林は人事部の部長だ。次に首を切られる者が見えているのかも知れない。
「梶谷さんは大丈夫ですよ」
 それまで黙っていた吉村が脳天気な声で口を挟む。
 彼は中学生と見間違えるくらい幼い顔立ちをしているが、これでも東大を卒業して我が社に入社したエリート中のエリートだ。
「大きなミスだってしたことがないし、残業だってしないし……何よりも部下に慕われている、良い上司です」
「慕ってるのはお前だけだろう」
 わさびのたっぷり入った汁を残らず飲み干して、若林はぼやきながら席を立った。久しぶりに昼食に誘ったのは、どうも警告をするためだったようだ。
「すまないね、有り難う」
 注意しろよと言われたところで今更どうすることも出来ない。大きな賭けをしてまで手柄を立てようとも思わないし、退職を言いつけられてもあまり困る気がしないのだから。
「俺だってお前はよくやってると思ってるよ、でもな、俺達にもどうすることも出来ない運命ってのがあるんだよ。悪く思わないでくれよ」
 若林は最後に肩を落として告げると、三人分の伝票を持ってレジに向かってしまった。注意ではない、事前通告のようなものだ。もうリストラは決まってしまったのか。
「梶谷さん……」
 吉村が箸を止めて私の顔を伺っていた。
 どうしてか、彼は入社当初から私によく懐いた。もう出世が見込めないだろうと言われていた私と入社前から年刻みの出世街道が約束されている彼との取り合わせは社内でも有名になり、その明るさと容姿を兼ね備えた将来の有望さに食いつこうとする女子社員から追いかけ回される度に私の背中に逃げ込む様子は妙な噂を立てられたものだった。
 まさか吉村がlewdなのだろうか。
 臍から上が全く映されていなかった昨夜の写真では相手は特定できそうにない。しかしがっしりとした体型というよりは吉村のような、若くて細身の躰だった。
「どうかしました?」
 思わず吉村の下肢に向かいそうになる視線を、辛うじて逸らす。まさか。第一吉村が私の個人的なメールアドレスを知っているとは思えない。
「若林部長の言うことなら気にしなくても……」
 吉村は私が黙っているのを誤解したのか、無理に笑顔を作って言ったが途中で尻切れトンボになる。さすがにあそこまで言われたら確実な情報だと思わざるを得ない。人事部部長でさえ操作できないくらい私は切り捨てられる運命の下にいるのだ。
「気にしてないよ」
 器の中の麺を箸で丁寧に掬いながら私は自分の胸の内に問い掛けるような気持ちで言った。本当に気にしていないのかどうか。
 妻を寝取られ、再婚の目処さえなく、会社にまで見捨てられたら私は何を支えに生きていけば良いかと悩むのではないだろうか。しかしそれは、そうなってみないと判らない。先の暗雲を今から怯えていたって仕方がない。
「梶谷さん、あんみつ食べません?」
 吉村がメニューを片手にさっさと店員を呼び寄せながら提案した。甘いものは好きではないが、和菓子の甘さなら満更でもない。彼はそんな私の食嗜好まで知っているのだ。
 吉村が入社してきた時、彼は勿論私の部下ではなかった。係長が直々に隣のデスクを空けて彼を座らせ、一から仕事を教え込んだ。しかし半年も経たない内に係長が過労で倒れ入院すると、退院までの間年輩者である私が面倒を見ることになった。
 覚えの良い吉村は私が教えるべき事などなく一人でてきぱきと働けたが五時の時報が鳴ると帰ろうとする私にいつも付いてきては食事に誘った。
「吉村」
 蕎麦の代金は若林が払ってくれたが、あんみつ分は私が払ってやるべきなのだろう。机上の伝票をそれとなく引き寄せながら私は口を開く。
「個人のメールアドレスというのは簡単に知れるものかな?」
 私の様子に、何か深刻な話題を期待していたのか身を乗り出してきた吉村が一瞬目を丸くする。
 私としては万一吉村がlewdだった場合を考えてカマを掛けたつもりだったのだがどうも違うようだ。
「会社のじゃなくて?」
「あぁ」
 右手の腕時計を気にしながら私は頷く。昼休みが終わるまであと五分しかない。あんみつを食べ終えてから精算し、会社まで急いでも間に合わないだろう。
「どうしたんですか、ウイルスとか送られてきたんですか?」
 吉村の前に置かれた器を見るとまだ半分も減っていない。あと五分しか残っていないということに気付いていないのだろうか。教えた方が良いだろうか、しかし彼を急かせるのも気が引ける。
「そうだなぁ、そのアドレスを使ってメルマガとかメーリングリストに参加したり、
 何か懸賞に応募したり掲示板に書き込む時にアドレスを記入したりしました?」
 天井を見上げて思いつく可能性を指折り挙げていく吉村の言葉を聞きながら、思い当たる節が幾つもあったことに気付いた。
 風俗店の会員証を作る時に記入したのも家のアドレスだし、パソコンを購入して最初の頃閲覧した成人向けのサイトでは入場に登録が必要でアドレスを記入したこともあった気がする。
「アドレスなんて割と誰でも知れますよ、多分」
 そう言った吉村はようやく時計の針が指し示す時間に気付いてあんみつを勢いよく食べ始めた。
 lewdはあのメールを私宛に送ったのだろうか。それとも誰でも良かったのか。彼が男性に犯されたがっている、或いはそういう妄想に浸ることで興奮する性質なのはよく判る。たまたま無作為に送った相手が私だというだけで(或いはあのメールを受け取った多数の内の一人だというだけで)、女性があんなメールを受け取れば即刻削除してしまうか、あの猛々しい肉棒を見ながら自慰に耽るかも知れないが、lewdの欲望を満たすことは出来ないだろう。
 悪戯ということだって考えられる。lewdはホモの振りをして私を、或いは不特定の人間を不愉快な気持ちにさせることを目的として画像を送りつけたのだろうか。それとも画像に撮られた人間と発信者は別で、写真に映った者を貶める目的で送りつけたのか。ホモの恋人同士のプレイの一環という可能性だってある。
 可能性を挙げたらきりがない。ましてやlewdを特定することなど不可能だ。
 私は慌てる吉村を連れて社に戻りながらふと思いを留まらせた。
 たとえ吉村がlewdだったとして、私はどうするんだ?
「梶谷さん、すいません遅刻させてしまって」
 エレベーターに乗り込んでもなお足踏みしそうな勢いの吉村に気にしないで良いと答えながら私はその肢体をそっと盗み見た。
 吉村がlewdなら――
 私は彼の希望に応えてやろうというのか?