僕と君だけの世界(1)

 僕から躰を離した男は、休む間もなくそそくさとシャワーを浴び、ワイシャツに袖を通した。急に後ろめたくなったとでもいうような、滑稽にすら見えるその慌て振りを僕はもう見飽きていた。同じ喜劇を何度も見ているような無感動を覚えてしまう。
 こんな風に慌てふためく男、動揺を隠すためなのか必要以上にのんびり構えている演技をする男。眠りこけてしまう男や、眠った振りをする男。性欲が鎮まった後の男というのは十中八九が何かを取り繕おうとする。
 他人の躰を金で買ったことに対する罪悪感がそうさせるのか、それともその買い物が僕のような学生であるという犯罪性からなのか、僕が男だからか?
 それなら最初から金をちらつかせるような真似をしなきゃ良いのに。最後まで割り切る事が出来ないなら、ふと擡げてきた欲望など掻き消せば良い。金にものを言わせたおじさん達についてきた僕も同罪なんだと、どうして判らないんだろう。
「じゃあ、……あの、お金は」
 男は、鰐皮の模様が印刷されたビニール製の財布から札をちらつかせた。今にもホテルの出口に走って行きたがっている爪先がグレーの絨毯の上でもじもじしている。
 僕はいつの間にか作り上げた台本の科白をなぞるように金額をぽつりと言った。その独白はまるで棒読みで僕はあまり良い役者とは思えなかったけど、それでも男は数枚のお札を数え直すこともしないでテーブルの上に押し付けるようにして置いた。
「ねぇ、僕のことどう思ってんの?」
 科白も表情も間も、僕は台本通りに尋ねた。
 僕にとってこんな問い掛けは条件反射のようなものだ。僕の躰を――女子高生ならともかく男子高校生の躰なんかを大枚はたいて買う男が何を考えているのか、コンドームさえ付けてくれれば何をしても構わないと言う僕のことを男たちはどう思っているのか
 言わばこれは僕にとっての市場調査のようなものだ。もちろん娯楽でもあるけど。
「え?……えぇと、君、名前は……何だっけ」
 顔を歪めて――笑っているつもりなのかも知れない――男は言った。
「藤田瑞帆」
 ベッドに足を投げ出したまま、僕は男の表情を見るに忍びなく思えて天井に視線を移した。一体何人の女が、或いは男が、この天井をこんな風に見上げたんだろう、と考えながら。そして僕がこの天井を見上げるのは何度目だろう。
「あ、あぁ……覚えておくよ、いつもハンズの前で客を待ってるのかい?また見掛けたら、声、掛けるから」
 会社でなら通用するような何の保証もない、別れ際の社交辞令。僕が聞きたいのはそんなのじゃない。
「ねぇ、僕のことどう思ってんの」
 僕が天井を虚ろに見上げたまま言葉を繰り返すと、男は困惑と怯えにも似た表情を顔面一杯に貼り付かせて声を震わせた。
「あ……あぁ、うん、良かったよ、だからまた今度――……」
 もういい。
 そう言うように僕が顔を壁際に背けると男は逃げるように部屋を出て行った。
 答えを期待しているわけじゃない。どうとも思ってないのが当然だし、かといってそんな本音を言われたって詰まらない。どんな返事も面白くない。でも面白いことを言って欲しい訳じゃない。
 僕はどうしてあんな事を訊くんだろう。台本に答えなんて無い。文部省の認可した教科書じゃないんだから。