アルバイト(2)

 次に思ったのは、店長が誰にでもこういうことをするのかということだった。
 不思議なことに嫌悪感はなかった。ただ触られるだけだし、嫌だと思えば冗談めかして拒むことだって出来ると思っていたから、苦ではなかった。
 だけどこれが女性だったらやはり、俗に言うセクハラってことになるんだろう。
 湊さんがバイトを休みがちなのはその辺に理由があるのかと勘繰ったが、湊さんと休憩時間が重なった時に彼氏の惚気話を聞かされ、それが欠勤の理由だと知れば、僕はそれ以上店長のセクハラについて訊く機会を失ってしまった。
 店長にセクハラ癖があるかと訊けば、僕がされていると露呈してしまうことになる。
 それはやっぱりどこか恥ずかしかったし、誰一人辞めていこうとしない団結力の強いアルバイトの面々を見ていると、とても波風を立てる気にはならなかった。
 誰も止めて行かないということは、もし店長が僕以外にもこんなことをしているとしても、彼女――或いは彼も、嫌がってはいないということだ。
 他に人もされているかどうかなんてことは、実際はどうでも良いことだ。
 その結論に達したのが、七月。僕がアルバイトを始めてゆうに二ヶ月が経過していた。その頃には店長は、僕を殆どレジの前に立たせては客の注文が入るまでレジの後ろに立って無駄話をしながら始終僕の尻を触っていた。
 カウンターには他のアルバイトが二人いる。そちらを盗み見ると、彼らも彼らで退屈そうに大学の話で盛り上がっていて、レジには注意も払っていないようだった。
「そういえば金井くん、来月のお給料から時給が上がるから。研修期間終わりってことで」
 店内にはお客さんが三人、まばらに座っているだけだった。それぞれ読書をしていたり、携帯電話をいじっていて、当然店員の動きになんて気にも留めない。
「有難う御座います」
 僕はレジの中に溜まった割引券の裏に日付の入ったスタンプを押しながら、店長を横目で振り返って礼を言った。僕の視線を受けても、店長は何食わぬ表情で話を続ける。
「勿論これからも頑張ってくれれば時給は上げるよ、金井くん遅刻とかしないし、誰か休んだ時も駆けつけてきてくれるしさ」
 いつも有難う、と言いながら店長の手はギャルソンエプロンをつけた僕の背後で蠢いていて、規則で定められた通り自前の黒いスラックスを履いた僕の尻の間の谷間に指先を滑らせていた。
 最初は通り過ぎ様に軽く触れる程度だったセクハラも、僕が何も感じていないのを知ると、立ち止まって掌をじっと宛がっているようになり、次第にその手が尻を揉みしだくように動き始め、今では店長がしたいようにされている。
 布腰に与えられるその奇妙な感覚は僕の性に対する好奇心を擽りもしたし、もし店長がこんなことをするのが僕だけなのだとしたら――僕が知る限り、毎回レジに立たされているのは湊さんか僕くらいのものだったのだが――店長にこんな趣味があることを知っているのが僕だけだということになる。
 アルバイトの皆に慕われている、気さくで親しみやすい店長が、僕の硬い尻を触ることが趣味なんてことを知っていることが、少し優越感を覚えさせたのも事実だった。
「金井くん大学は行こうと思ってるの?」
 カウンターで話に興じている大学生バイトの話を耳に挟んで、店長が訊いて来た。
「はぁ、……まだ真剣には考えていないですけど」
 早い内に考えておいた方が良いとは思っても、今はまだ高校受験を終えたばかりだ。いつまでもこんな気持ちで自分を甘やかしていてはいけないけど。入れる大学には入れれば、それで良いとも思っている。
「じゃあここでお金貯めて、自分で学費払いなよ、金井くんみたいな働き者がずっといてくれたらうちも助かるしさ」
 店長は人当たりの良い甘い顔をにこりと笑ませながら、僕の尻の下で中指を立て、谷間の深いところを突き上げるようにぐっ、ぐっと刺激した。
「ン、……ッは、ぁ……考えて、おきます」
 思わず声が震えた。
 それを悟られないように、割引券の束に視線を伏せる。店長の指が揺れるたびに、僕はレジ台の上の手を汗で湿らせた。何だか甘い疼きが脳天まで駆けて行くようだった。
「ご馳走様」
 先刻まで読書を続けていた初老の男性が、コーヒーカップを片手にレジに向かってくる。僕は慌てて顔を上げ、そのカップを受け取った。
「恐れ入ります、……お会計失礼します」
 反射的に出てくるようになった接客用語を唇に乗せながら、僕は早く店長が背後を離れてくれれば良いと祈った。
「今日は奥様はご一緒じゃないんですか?」
 しかし、僕の祈りも空しく店長がレジの前に立つ男性に声を掛けた。僕にとっては初めて見るようなお客さんだったが、常連さんだったようだ。寡黙そうな老人は、自分の顔を覚えていた店長の顔を見ると眸を緩ませて笑い、今病院に行っていてね、と答えた。孫が誕生したそうだ。いつもなら僕も世間話に相槌を打つくらいはしてみるのに、今日はそういうわけにも行かなかった。店長の手がまだ、僕の双丘に食い込んだままだ。
「初孫でね、病院に泊まりこむほどの入れ込みようなんだよ」
 聞き上手な店長の笑顔に誘われるように、男性は僕からレシートを受け取ってもまだレジの前を立ち去ろうとしなかった。店長の手は、僕の股間に四本の指を食い込ませるように強く押し付けられ、前後に擦っていた。店長が手を大きく突き出せば、ぞくりとした感触に張り詰めてしまっている僕の陰嚢を後ろから突付いて、僕は前身が竦み上がるのを必死で堪えた。
「じゃあ、有難う。ご馳走様」
 すっかり上の空で男性客と店長の会話を聞き流していた僕に、男性が手を掲げる。僕は、ありがとうございました、と小さく応えた。
 声を大きく張り上げれば、甲高く裏返ってしまいそうだった。店長の手が僕の股間の下を通り抜け、ペニスにまで達していた。根元を摘むように確かめながら手首で陰嚢をぐりぐりと押し潰す。僕は、震える唇を食い縛って再び割引券の束を握り締めた。