兄姦(4)


 この変態兄貴を最初に開発したのは俺ではない。
 兄はもともと公衆便所であり、今はたまたま俺が使う機会が多くなっただけだ。
 小さい頃から成績優秀だった兄は、近所で高名な進学校に通うべく中学生の頃から学校に居残りをすることが多かった。
 進学校の受験に耐えるには普通の中学生としての勉強を優秀にこなせるだけでは足りない、それ以上のレベルの勉強をスムーズに処理できる学力がなければいけないと、教師陣も躍起になっていた。
 自分たちの中学校から有名高校へ進学した生徒が現れることは素晴らしい誇りなのだろう、俺は子供ながらそんな馬鹿げた大人達と、それに囲まれた兄をずっと後ろから見ていた。
 二つ年の離れた兄が、いよいよ受験を目の前にぶら下げられた三年生になった頃、俺は兄の後を追って中学校に入った。職員室のスターとも言える兄の名前に俺はプレッシャーを感じることすらないくらい十人並みの学力、目立たない存在で
 知的で控えめな見映えの良い、女にモテ、教師に大事にされる兄とは何もかも違っていた。
 家庭の中でも俺と兄の接点はなかった。
 兄は夜遅くに学校から帰ってくると夕飯すら自室で食べながら勉強をしていたし、俺は居間でテレビばっかり見ていた。
 昔は普通に仲の良かった兄弟だった筈なのに、俺はいつしか自分の兄の顔も忘れ、自分に兄がいることすら忘れそうだった。
 兄に学校で居残りをさせるのは教師側の考慮なのだという。
 勿論進学塾に通っていた兄だったが、毎日は通えない。三年にもなれば毎日みっちり講習を受けられるコースがあるのらしかったが、うちは裕福ではなかったし、中学校としても自分達の自慢の卒業生を排出するための努力は惜しもうとはしなかった。
 兄は勉強が好きなのだろうか、俺には到底理解できなかったけど、兄はいつも文句も言わずに親や教師の言うことに従って微笑むだけで、俺は当時、しばらく兄の声すら聞いていなかった。
 受験を控えた十月の寒い夜、兄はいつも通り予備校の空いた日に学校で居残りをしていた。
 母は俺と父に食事を食べさせた後、兄のためにもう一品ご飯を用意して取っておかなければならなかった。そこまでして自分の息子を近所に自慢したかったのだろう。俺が体育祭で徒競走の一着になることよりもよっぽど誇らしいのだろう。
 兄を恨む気など更々なかったが、俺は兄が大人達の期待を一身に受け止めることをどう感じているいるのかも、親や教師が兄に期待を寄せている意味も、例えば兄がこれで高校受験に失敗したらどうなってしまうのかも、不思議で不思議で堪らなかった。
「潤、お兄ちゃんに傘持ってってあげて」
 ぼんやりとテレビを見ていた俺に母が言った。カーテンの下がった窓の向こうでは雨が降り始めているようだった。
「今日学校だから。風邪引いたら困るでしょ」
 母は兄の傘とカッパを俺に差し出しながら当然のことのように言った。疲れてるんだとか眠いとか、俺にも宿題があるとかいう反論は許されないことを俺は知っている。
 渋々ソファから立ち上がり、母から雨具を受け取ると、自分の傘を差して徒歩七分の中学校まで俺は向かった。
 学校でこんな夜まで居残りをするのは特例だ。落第生の補講だって夕方五時で終わる。兄は兄自身の希望で夜八時過ぎまで残ることもあった。教師も根気よく付き合うらしい。兄のクラス担任の数学教師と兄は、確かに仲が良さそうに見えた。
 三年の教室は校舎の二階にある。
 暗く濡れた校舎を見上げれば兄がどの教室にいるかはすぐに判った。一つだけ明るく照らされた部屋。俺は重い気持ちを引きずってそこまで迎えに行った、久しぶりに顔を見る兄に何と言って声を掛けたらいいのか、まだ勉強中であろう先生と兄の間に口を挟むのは億劫だ、などとつらつら考えて廊下を歩くと、教室からは兄と教師のものだけではない、複数の声が漏れていた。
「……、?」
 余り柄の良くない声だ、俺は三年の教室の扉に嵌ったガラスから中を覗いた。
 勉強の出来ない俺にはちょっと近寄り難い雰囲気の数学教師が黒板に書いた数式を指しながら講義を進めている。
 兄は教壇の目の前の席に座り、ノートに顔を伏せている。
 その左右、真後ろに一人づつ計三人、生徒が付いていた。三年生の中でも大人びた、不良の部類に入る先輩方だった。
「この公式に当て嵌めて、次の問題を解いてみろ」
 銀フレームの眼鏡の奥で先生が言う。命じられた兄の様子がおかしかった。俺は首を伸ばして、先輩方に囲まれた兄の様子を伺う。
 兄は教室内でただ一人、全裸だった。