knocking on your door・Ⅲ(1)

 雨が降り出した。
 長年の慣習というのは恐ろしいもので、俺はずいぶんと長いこと土木やらガードマンやらをやっていたせいで、未だに雨が降ると憂鬱な気分になる。
 今はレンタルビデオ屋の店員をやってるんだから、雨なんざなんてことないのに。
 ましてや今日は休みじゃねーか。
 下らないことを喋くり倒すワイドショーの喚き声を聞き流しながら、俺はベッドの上で伸びをした。
 あんなに眠ったのにまだ眠いってのはいったいぜんたいどーいうことだ?
 久しぶりの休みで、かなり眠れたはずだ。
 ええと、何時間眠ったんだ?
 ベッドに入ったのが何時だったっけ、というところから指折り数え始めた時、大きな音をたててドアが開いた。
「斉丸のバカ―――ッ!」
 耳をつんざくような怒鳴り声と、同時に、どかどかと轟音のような足音が同時に飛び込んできた。
 うるせぇ奴だな。
「何だよ」
 近くのスーパーのビニール袋を提げて部屋に入ってくるなり、奴はベッドを乗り越えて窓を開いた。
「留守番一つまともにできないの?! いったい何歳なんだよ!」
 キーキーと喚く奴の手元に取り込まれる洗濯物を見て、ようやく俺は理解した。
 それにしたって洗濯物なんて放っときゃまたそのうち乾くもんを、そんなアホみたいに怒るなっつぅの。
 ああ、うるせぇ。
「聞いてんの?! 斉丸!」
 あああ、うるせぇうるせぇ。
 俺は耳を両手で塞ぎながら、ベッドの上でごろんと寝返りを打つ。
「斉丸ッ!」
 肩を掴まれるが、その手も振り払って。
「うるせぇよ」
 また欠伸が出る。
 あー、眠い。
「斉丸」
 怒ったような低い声。あー、勝手に怒れ、拗ねろ。
 まったくうるせぇってなぁ、ビデオ屋の店長、ワカには恋人か、なんて言われるしよ。
 ホントに迷惑だっつの。
「もういい加減起きなよ」
 今度は泣き落としか? 鼻にかかったような声出しやがって。
「……ねぇ」 
 もう一度俺の肩に手がかかる。
 女みてぇなてだな、ホント。
 これがもっとごつごつしてて毛深くて、濁声のいかついヤロウだったら、俺は、こいつを抱いたりしたんだろうか?
「斉丸、起きてってば」
 あー、やめだやめ。
 こういうこと考え始めたらキリがねぇし、何よりあぶねぇや。
 こいつが男とか何とか、意識しなけりゃ何となーく、でこいつと仲良くやってけるんだしさ。
「しつけぇな」
 肩の手を再度振り払うと、今度は背中を乗り越えて奴の顔が覗きこんで来て、頬に唇を押しつけられる。
「せっかく久しぶりの休みなのに」
「お話でもしてやろうか? 昔々あるところに、ってな」
 今度は唇にキスを降らされる。
 これは別に悪くねぇ。
 つぅか、もう慣れたのかもな。
「それともキャッチボールか、砂遊びか?」
 唇が離れた隙に言ってやるが、奴は笑わない。
 俺は肩の上に置かれた手をぐいと引いて、容易に体のバランスを崩した奴をベッドに引きずり込んだ。
 雨で少し、冷たく湿っている。
「……!」
 まったk、と呆れたように眉を潜めようとする奴の顔を胸の中に収めるようにして抱くと、少し戸惑ってから、背中に手が回ってくる。
 これだ。
 俺はまだまだ性欲盛んな年齢だってのに、こいつの抱き返してくる腕に、何だか弱い。
 これって何なんだ?
「斉丸」
 ちょっと苦しい、と言う奴から少し身を離して、髪の生え際辺りに唇を押し付ける。
 くすぐったがるように肩を竦める奴の名を呼ぶ。
「――水野サン」
 ミズノは満足そうに微笑んで、顎を上げる。
 もっとキスしてくれってのか?
 仕方なく耳の付け根に唇を移すと、ミズノは声を漏らして笑った。
「斉丸、何?」
 訊かれて、ミズノの顔を見る。
「今、名前呼んだでしょ。何?」
 脳天に花畑でも造園してんじゃねぇのかってくらい幸せそうに笑うミズノの顔を眺めながら、俺はしばらく考え込んだ。
「……忘れた」
 名前なんか呼んだっけか、ってくらいすっぽりと。
 何それ、と笑うミズノの唇を塞いで、湿った服を脇腹からたくし上げる。
 ミズノは俺の首に腕を回しながら、甘く鼻を鳴らした。
 こいつを抱くのにも慣れたもんだ。
 どこをどう責めたら悦ぶのか、たぶん世界中で一番よく知ってる。
 ま、たいがいこいつはどこ触っても感じやすいんだけど。
「さ、……ッいまる・ッ……!」
 内腿をぶるぶると震わせながら、しゃくりあげるような声でミズノが喘ぐ。
「何だ」
 最初の頃はしつこいくらいに名前を呼んでくるのがミョーな気分だったが、ミズノが俺の名前を呼ぶのは理由がないわけでもないらしい。
「斉丸、ッ……好、き」
 好き、と身を捩じらせて言う。
 まぁ、……これも理由だよな。
 大きく唇を開いて熱い息を浅く弾ませているミズノの顔が高潮し、汗ばんでいる。
 ちょっとやり過ぎたかもしんねぇな。
 息の吐く間もないほど性急に突き上げられて、興奮の渦に飲み込まれてしまったミズノの髪をゆっくり梳いて、俺はちょっと休憩に入った。
 ミズノがようやく唇を閉じ、喉を鳴らして咥内にたまった唾液を嚥下する。
 俺もずいぶん相手のことを考えてセックスできるようになったもんだ。
 まぁ溜まってるからやってるわけでもなければ、がっつくこともねぇしな。
 ――じゃあ何で俺、男なんか抱いてんだろうな。
 そういや、他人と暮らしてんのも初めてだ。
 このヤロウが図々しく居座り始めたってだけで、一緒に暮らしましょうっつって始めたわけでもないから意識したこともなかったけど。
 ましてや同居ってんじゃねくて、同棲ってのに近いよな。
 相手が男だっつってもやることやってんだしなぁ。
 たとえミズノが女だったとしても、こういう風にやれる相手が毎日そこにいるってのは、どういうことになるんだろうな。
 ――『斉丸にとって、セックスってどんな意味?』
 そう訊かれた時、俺はただの欲望だ、と答えたけど、じゃあ欲望って何だよ?
「……斉丸?」
 呼吸の落ち着いてきたミズノが、不安そうに俺を見上げた。
 不安そうにしているこいつの方がよっぱど、なんつーか曖昧であやふやで、定まらねぇ感じがしてきやがる。
 滅多にしないことだが、俺はぎこちなくミズノのキレイな指に指を絡ませた。
 俺は口に出す前に、一度思いとどまって考えてみてから、決心して尋ねた。
「あんたにとってセックスって、どんな意味だ?」