LEWD(12)

 辞令を読み上げる係長の頬が紅潮していた。そんなに喜ぶようなことだろうか。彼は何も私が彼の部下じゃなくなるからというだけで喜んでいるのではなく、辞令が出ると彼はいつもうきうきしていた。自分の名前がそのリストに載っていないことが嬉しいのだろう。他人が伐られ、自分が残る。自分は選ばれた者だという意識が強まって、彼は嬉しいのだろう。
 私はと言えば、職を失うことだけは免れたようだった。出向先は都外ではあるけれど関東圏内だし、小さな工場だけど事務職だし、全く不服はなかった。若林に心から感謝した。そんなこと口に出しても若林は眉を軽く上下させるだけだろうが。
 バブル期に入ったこの会社に、勤め始めた時から私はこの本社から動いたことがなかった。離れてみるのも良いだろう。自分一人が食えれば良いのだし。
 淡々と異動の準備をする私に吉村は自分が出世したら必ず呼び戻しますと言った。係長が危惧していたのはこういうことだろう。吉村は出世するだろうが、吉村のお陰で私まで出世されるのは鼻持ちならないのだ。
 別に本社でやりたいこともない。生きるために働く場所さえあれば良い。私が答えると、吉村は涙ぐんだ。逢えなくなるのが嫌なのだと。吉村の私に対する愛情は父親にしがみつく子供のようなものだ。だからといって愛しくない訳じゃない。辞令が出てから私がマンションを引き払うまでの間、毎週末には吉村を呼び、泊めた。金曜の晩から月曜の朝まで私達は愛し合い、これ以上は一つになれないというほど躰の全てを交わらせた。
 吉村が私に逢えなくなったら確かに吉村は生きていけないだろう。私のようにタフな男を捜すか、或いは何人もの男を用意しなければならない。

 私は工場の傍にホテルを取って、暫くはそこから家を探すことにした。
 初めて顔を合わせる下請け工場の作業員たちは、予想以上に気さくで、人が良かった。本社の人間だからと言って敵視するような人間は――極一部を除けば――居らず、社長も人間の出来た人だった。工員からは社長ではなく工場長と呼ばれて親しまれ、作業着を着て工場に毎日出ていた。
 工場に入り浸る工場長――社長の代わりに、事務所を預かっているのが社長の息子で、私よりも若い。新しく入った私と、もう一人電話番の女子社員が一人いる、三人だけの職場だった。
「梶谷さん」
 社長の息子は髪を金に染め、ピアスを幾つも付けているような青年で妙に甲高い声で俺を呼ぶ。
「これさ、違うんだけど」
 女子社員の机と向かい合わせに置かれた私の机に書類の束が飛んできた。私の代わりにパートの女子社員がびくっと肩を震わせる。女子社員は二人の子供がもう高校生にもなる、主婦だった。控えめで大人しく、声の美しい女性だったが実年齢より老けて見えた。子供を育てるというのはそういうことなのか。
「何か間違いましたか」
「自分で確かめろよ」
 彼がわざわざプリントアウトしろと言うので印刷した書類は相当な枚数になった。
 間違えるようなデータはなかったはずだ。あるとすれば誤字や脱字の類だろうか。データに狂いがあるのだとしたらそれは私のミスではなくメーカーのミスだ。
 私は黙って書類の束を脇に押し遣った。パソコンのキーボードを叩く。その方が見易いからだ。
「梶谷さんさ」
 大仰な舌打ちをして青年は椅子を立ち上がった。ただ電話を待つか、掃除やお茶くみしか仕事のない女子社員が身を竦める。よほど何か怖い思い出もしたことがあるのだろうか。
「俺の命令はきちんと聞いてくれないと困るんだよね、あんたは本社から来たエライ人じゃないわけだろ? 今はただの事務員で、俺より立場が下なわけ。判ってんの?」
 極一部の人間というのは彼のことだった。何かと言えば本社から見捨てられた人間なんだからと口にする。そうして私を落ち込ませたいのかも知れなかったが、私が堪えないから彼は私に苛立っているのだろう。
 確かに私はまだ若い彼の下で雇われているだけの人間に「成り下がった」のかも知れないが、本社の人間だったという誇りもなければ奢りもなかった私にはあまり意味は為さないというのに。
「聞いてるつもりですが」
 嘆息してからスクロールの手を止めると、その嘆息が気に入らなかったらしく彼は手近な塵箱を蹴り付けた。大きな音がして女子社員が跳ね上がらんばかりに息を飲む。私の前任だった事務員は彼にいびられでもして辞めたのだろうか。この女性社員もこの様子ではいつまで持つのだろう。
「聞いてねぇから間違えたんだろ?」
 確かに自分が絶対に正しいと思い込むことは良くない。間違いがないと思うと誤りを見逃す恐れがある。私は彼に口答えするのを止めてパソコンに向き直った。
 五時の時報が鳴る。女性社員は逃げるように事務所を飛び出していった。最初のうちこそ、その動きの早さに驚いたが一週間もすれば慣れてしまった。
「梶谷さん今日も残業だなァ? うち、サービス残業推進派だからさ、頑張って」
 蹴り倒した塵箱を転がしながら、彼は私の肩をぽんぽんと叩いた。この工場に来てから、まだ一日たりとも終業時刻に帰れた日はなかった。毎日、何か頼まれるにしろこうして間違いを指摘されるのにしろ、五時十分前のことだ。何もない時は工場の後片付けを手伝わされた。私が本社にいたことで唯一ぬるま湯に使っていたと感じるのは定時に上がっていたことだろうか。それは勿論自分の為すべき仕事を時間内で終わらせるように計算し尽くしてやっていたことだが、このような小さな職場では通用しないこともあるだろう。
「元々うちには本社のエリートを雇う余裕なんてねぇんだよな」
 青年は笑いながらそう言って、事務所をさっさと出て行ってしまった。
 頼み込んで雇ってもらっているわけではない。私はくびを覚悟していたのだから、辞めたって構わないのだ。しかし若林の苦労を思えばとても辞めるとは言えない。耐え難いことは何もない。続けようと思えば続けることの出来る仕事だ。ただ、私を揶揄って遊んでいる彼がその内社長になり、それでこの工場がやっていけるとは思えなかった。
「……、」
 書類の三分の一を読み終えて一息つくと、時計はもう七時を回っていた。夕飯にありつきたい。しかし今帰ってしまったらまた明日どやされるに違いない。
 本当に誤りはあるのだろうか。
 私がまだこの事務所に来て間もない頃、やはり同じように間違いがあると言われて突き返された資料を、私は何度も読み返したが思い当たる部分がなかった。その旨を翌日彼に伝えると、彼はぱらぱらっと資料を捲って、あぁ、ないな、とだけ言った。
 私を残業させる種のない時は工場の手伝いをさせることもあるが、工場には自分の父親がいる。あまり私をいびっていることを知られたくないんだろう。それで私にこうして無為な間違い探しをさせているのかも知れない。
 私は大きく伸びをして、気分転換にメーラーを立ち上げた。
 本社を去る時、吉村は俺のメールアドレスを知りたがった。彼なりに自分が間違えられたlewdにライバル心があるのかも知れない。用があるなら電話で良いだろうと言っても、吉村はメールアドレスに拘ったのだ。
 受信したメールは三通だった。DMが二通、lewdからのメールが一通あった。
 
 lewdの前で吉村を犯した夜届いたメールは、翌朝開いた。
 メールに添付された写真はどれもひどく不鮮明で、しかしそれが彼の吐射した精液でレンズが濡れているからだということは直ぐに判った。
 私からの画像にひどく興奮したらしく、写真の量が増え、文章も長くなった。
 “返事が頂けて嬉しいです。メールを開いた瞬間から、今まで、何度抜いてもまだ勃ってしまいます。
 尻穴もヒクついて止まりません。とっても美味しそうなチンポ、モニターにしゃぶりつきそうになってしまいました。
 よろしければ、貴方のサイズを教えて下さい。同じ大きさのバイブを買います。それを尻穴に突き刺してイくところをまた写真に撮りますから、お願いですから教えて下さい。
 見るからに大きそうで太そうなおチンポで、画像を送ってきてくれて嬉しいです。僕は何でもします。貴方の奴隷にさせて下さい”
 吉村を抱いた後で体力も精力も残っていなかった。お陰で会社に出勤する前から勃起せずに済んだが、その週の金曜、私は吉村に許可を取ってハメ撮りをした。吉村の顔も私の顔は映さず、赤く熟れた吉村の尻穴に私の肉棒が刺さっている局部だけを、買ったばかりのカメラで何枚も写した。
 最初は私からの頼みだからと許していただけの吉村も、シャッターを切るたびに淫らに私の性器を誘うようになっていった。大量にザーメンを飲み込んで緩んだ尻穴も取らせてくれた。私の勃起を計ってくれたのも吉村で、勿論勃起状態まで高めてくれたのも吉村だった。
 初めて使うカメラで初めて撮った写真は半分が使い物にならないほどぶれていて、それを選択する間私は吉村の口淫を受けていた。写真がぶれてしまうのは吉村が快感を欲しがって躰を揺さぶる所為だ。それを揶揄うと吉村の口淫は更にねちっこくなった。これはlewdに送らないからと言って、私のものを美味そうに頬張る吉村の顔もしっかり撮った。