LEWD(28)

 安いホテルの一室に帰ると、加賀見は一言も口を利かず覚束ない足取りでバスルームに入った。シャワーを全開にして、傷口を洗ってでもいるのだろうか。あの様子では傷口に沁みるお湯の刺激で再び勃起してしまうのじゃないだろうか。
 私はベッドの脇に腰を下ろすと煙草を咥えた。
 ホテルの窓から見える景色も見慣れたものだ。特に高額な給料を貰っているわけでもない私がこんなホテル住まいをしているのは大それたことだ。そんなことを何度も思った。しかし、これといった趣味もなく、別れた妻に慰謝料を払っているでもない私は他に金を使う術を知らなかった。
 子はない。私の金は私一代で使いきるべきなのだ。
「……消毒液」
 バスルームから顔を覗かせた加賀美が手を伸ばして消毒液を要求した。
「あるんだろ」
 その表情はひどく疲れているようだ。私は煙草の灰を灰皿に落とした後、その手に薬を手渡した。
 こんな風に男の体を開く愉しさを知ってしまった今、元々馴染めなかった風俗などに入れあげる気も起きない。酒は嗜む程度しか飲めないし、飲みに行く相手も此処ではいない。
 ふと若林の顔が脳裏を過ぎった。元気にしているのだろうか。メールのやり取りは月に二~三回あるが、電話で声など聞いてみたいものだ。
 このまま此処にいたら、東京にいた頃の自分を忘れてしまいそうだ。
 そんなに大事な時間ではなかったが、人生の大半を失ってしまう事に対する理由のない不安がある。
 バスルームの扉が開き、腰にタオルを巻いた加賀美が姿を見せた。いつも通りの渋面で、視線を逸らしている。私は煙草の吸殻を灰皿に押し付けると、ベッドを立ち上がって小さなトランクからシャツとセーター、スラックスを取り出して加賀美に放った。彼の趣味には合わないだろうが、着るものを置いてきたのだから仕方がない。青年も不服そうながら黙って袖を通した。
「……、…………」
 何も言わない加賀美を置いて、私は再び窓の外に視線を転じた。外は真っ暗だ。東京のマンションにいれば部屋の中の灯りよりも外から差し込むネオンの方が明るいかも知れないと思ったりもしたものだが、此処は違う。
 東京が恋しいわけではない。ただ、自分の根を下ろす場所を探しているような気がした。十数年間、すっと私は東京がそれだと思っていたが、今此処にこうしている。しかし或いはまた帰る日が来るのかもしれない。
「……lewd――……」
 加賀美が私の煙草に手を伸ばしながら呟いた。
 lewd。目蓋の裏に瞬いていた東京の景色が掻き消え、パソコンのモニタに映る肢体が浮かんだ。驚いて加賀美を振り返ると、彼は勝手に煙草を咥えて火を点していた。
「……lewdって、東京にいるあんたの恋人?」
 火を消したライターをベットの上に落として、加賀美は一筋の紫煙を吐き出すと窺うように私を見た。
 ……彼が何故、lewdのことを知っているのかと考えることは容易い。私とlewdの繋がりはメールでしかない。加賀美がlewdの実態と何処かで繋がっているのでもなければ、彼が私のメールを覗き見した以外にありえないのだ。
「違うのかよ」
 答えない私に加賀美は眉を潜めた。
 lewdのメールを盗み読んだ加賀美は――恐らく私に犯された後で、私に嫌がらせの一つでもしようと思ってプライベートを暴いたのかもしれない――lewdからの淫らな写真付のメールを読んで、興奮したのだろう。
 そう思えば、加賀美が私に抱かれるのが二度目であるにも関わらず変態性を過敏にさせていることがようやく理解出来る。
「――lewd?」
 私はその、正解に殆ど違わないであろう仮説を、加賀美自身に確かめてみたくなった。ベッドに掛けた腰を上げる。加賀美が小さく肩を揺らして、怯えた。
「人のメールを、盗み見たんだな」
 加賀美の唇に挟まれた煙草を掠め取る。私の顔を見遣った加賀美が慌てて顔を伏せた。
「私が男の尻を無理矢理犯すような変態だって証拠を掴んで、クビにさせようかとでも思ったか?」
 私は加賀美の細い顎を掴むと容赦なく力を込めて、握った。私の肩を押し遣ろうとする掌をもう一方で掴む。本気で嫌がろうとする気などないのだ。顔を仰向けさせると、眸が僅かに潤んでいた。
「証拠にするには充分だったろう、あんな写真を大事に受信トレイにとっておく男なんていないものな」
 鼻先と鼻先を寄せて言葉を重ねると、徐々に加賀美の目蓋が落ちてきた。心なしか、私の唇に掛かる吐息が荒くなってきている。膝を上げて、バスタオルに覆われただけの目の前の股間を探った。
「……あのメールを見て興奮したか? 私から彼への返信は読んだか?」
 スーツの膝で肉棒を擦り上げると、加賀美は躰を震わせて一旦腰を引いた。その身を壁際に追い詰め、股間を押し潰そうとするかのように緩く責め立てた。
「……あんな風に辱められたいんだろう?」
 私がその気になれば彼の性器を不能にしてしまえるのだ、ただ体重を掛けるだけで。想像しただけで私は直ぐまた欲情してしまいそうだった。加賀見自身私と同じことを思っているのか、見る間に屹立させていく。
「……俺、……は……ッ、恋人なのかって、訊いてるだけだ」
 僅かに強く膝を押しあてた。加賀見が肩を鋭く上下させて息を飲む。
「恋人だったら、何だ」
 膝の下で息づく屹立がぴくんと震えたのが判った。加賀見の恍惚とした眸が私の顔を仰ぐ。鼻先を囓るように口付けた。
「彼は私にメールで命令されることが喜びなんだ、或いは、そういう相手が他にも沢山いるんだろうけど」
 反り返った物の裏筋を強く擦り上げた。私のに鼻を食まれた加賀見は喉を逸らして声をしゃくり上げる。消毒したばかりの蕾が収縮して彼に痛みを与えているに違いない。
「それ、……って・恋人って……言わ、……ッ・ねぇじゃん」
 その通りだ。
 私は恋人が欲しいんじゃない。遊びでセックスをするほど若くもない。
 ただ、他人を虐げて飼い犬にしたいだけだ。