LEWD(41)

 べっとりと濡れてしまった下着を、吉村は階下の便所で脱いだ。素肌にスーツを着せ、腕時計を見ると終業の時間まで二時間半もある。ジッパーが彼の股間を容赦なく擦り立てるだろう、それでなくとも下着のない状態での勤務は彼にとって異常な興奮の原因となるのだろうから。
「しゃんと立て、……係長にばれても知らないぞ」
 人気のない便所で声を潜め、吉村の腕を引いた。顔を伏せた吉村が唇を噛んでいる。しかし私を責めるつもりも駄々を捏ねる気もないようだ。彼が望んで、私に躰を投げ出したのだから。そして、悦んで虐げられているのだから。
「梶谷さん、……五時になったら直ぐに……会社を、出ますから……、……お願いです、あの……」
 吉村が顔を上げた。彼の腕を引いた私の胸に縋り付くように手を被せる。そのポケットに仕舞った携帯電話――……吉村は、lewdに敵意をずっと前から抱いている。
 吉村が他の男に抱かれるようになっても尚、私に執着して見せるのは彼なりの縄張り意識なのかもしれない。

 情欲の冷めらやない瞳で私を名残惜しそうにする吉村と別れ、私は会社を出た。
 当初の目的では用事が済み次第工場に戻るつもりだったが、まだ工場には戻れそうにない。少なくとも明朝までは戻れないだろう。大事な用事が済んでいない。吉村の工場の話を聞かなくてはいけないし、久しぶりに吉村の従順な肉を貪りたい。
 会社の近くの喫茶店に入ると、私はコーヒーを前にして携帯電話を取り出した。電話帳に登録された番号を自動的に回す。三回も呼び出さないうちに田上さんの控え目な声が耳に流れてきた。
「梶谷です」
 短く告げると、コーヒーを啜る。電話の向こう側に工場の機械音が響いていた。
「本社に用事があって、今日は帰れなさそうなんです、その旨社長に伝えておいて貰えますか」
 日当たりの悪い事務所の光景が眼に浮かんだ。居場所をなくした本社よりも、事務所の方が居心地の良い場所のように思える。私はこうして吉村の答えを待っているが、果たして本当にあの工場を守れるという話なのかどうか判らない。どっちにしろ、私には何も出来ないのだろう。
 了承を告げる田上さんの声の奥で加賀見青年の帰宅を告げる声が聞こえた。またパチンコにでも行っていたのに違いない。私がいなくて清々していることだろう。そんな暮らしが今に出来なくなるかも知れないのに、だ。
 加賀見は私が躰を弄ばなくなったらどうするのだろう。吉村のように私を誘惑するメールを書けるわけでもないし、縁があって再会しても吉村のように唇を開かないだろう。
 ――私は工場をなくした後、何処へ行くのだろう。
 加賀見の心配をしている場合ではない、か。
『梶谷さん?』
 用件を済ませて電話を切ろうとした私を加賀見の声が呼んだ。田上さんが戸惑いがちに声を遠ざける。
『あんた、本社に帰ンの』
 急に加賀見の声が近くなった。思わず携帯電話を耳から話したくなるような乱暴な音量だ。知らず、笑みが漏れた。
「帰れないだろうと思うよ、とてもじゃないが」
 喫茶店のカウンターテーブルに肘をついた。私の座っていた席には新しい複合機が置かれて、まるで私など最初からいなかったかのような景色になっていた。帰る場所を奪うように。
『あ、そう』
 加賀見の返事は短かった。
 吉村よりも年齢は上だろうか。しかし吉村よりも幼く、感情が手に取るように判り易い。
「私がいつまでも工場にいたら迷惑なんだろう?」
 自然と、カウンターの下の股間を自分で撫でていた。直ぐに自覚して、その掌をコーヒーカップに上げる。隣にも背後のテーブルにも、客はいなかった。
『……まぁな』
 吐き捨てるような小さな声。私も彼の声に合わせるように声を潜めた。
「何、例え別の場所で働くことになっても可愛がってやるよ。
 ……君の躰をそんな風にしたことへの責任は取る」
 電話を切られるだろうことを覚悟しながら、揶揄の言葉を浴びせると加賀見は案の定言葉に詰まった。電話を耳から遠ざける。通話を切られるのでなければ怒鳴られると思った。
「……、…………加賀見さん?」
 しかし幾ら待っても彼の罵声も受話器を叩き付ける音もなく、私は怪訝に思って恐る恐る呼び掛けた。
『……やっぱり何処か行くんじゃねぇかよ』
 大人気のない盆暗若社長は、私が今まで聞いたこともないような声で小さく呟くと、そのまま通話を切った。
 彼なりに工場が今直面している危機を察しているのかも知れない。私が工場を去って何処かに行くことも、そして自分の身の振り方を考えなければいけないことも。