LEWD(5)

 取り込んだ画像をhtml化してメールの形にしていく作業は、私が予想していたほど苦痛な作業ではなかった。湯気が立ち上るような熱い肉棒を握った私の掌が邪魔だ、と思ったしやはり古いカメラの所為か、画像が鮮明ではなかった。
 今日のところは取り敢えずこれをlewdに送り返し、次回は肉棒を覆いすぎることなくカメラに見せつけ、そのカメラも新調しようと思っていた。
 変態じみた自分の行為に興奮さえしていた。lewdを喜ばせてやろうというのではない、私自身が、彼を汚すことを望んでいるのだ。彼を蔑みたいという気持ちがはっきりと自覚出来た。彼の人格を踏みにじるほど貪るように犯してやりたいと。そして彼もそう望んでいる筈なのだ。
 画像を縮小することもなくメールに貼り付け、私は時計の針を見上げた。もう眠る予定の時刻を過ぎている。しかし不思議と焦りはなかった。煙草を唇に銜える。
 lewdに一文だけメッセージを添えてやろうと思った。
 紫煙を燻らせながら腕を組む。こんなに充実した気持ちで夜を過ごすのは随分久しぶりのような気がした。妻と別れて以来、自由な身の上を謳歌しているようでもやはり空虚さが纏わりつく。妻と一緒に暮らしていたって、何処か掴めない寂しさがあった。彼女の躰を求める事が出来ない所為で、私は勝手に彼女との間に一線を引いていたのかも知れない。それが彼女を他の男に走らせた原因なのだろう。私と彼女はうまくいってなかったのだ。二人でいたって寂しさが拭える筈もない。
 彼女は私と抱き合って寝たことなど数えるほどしかなかった。慈しむような愛も、燃えさかるようなセックスもした覚えがない。私は彼女を、彼女は私を愛していたのだろうか。
 組んでいた腕を解いてキーボードに指を伏せる。
 “私の味を教えてやろう”
 私はオスだ。マーキングを忘れてはいないのだ。

 メールを送信した後そのまま机に伏せて眠ってしまったようで、朝起きると頬に服の皺がくっきりと刻まれていた。
「梶谷さんどうしたんですか?」
 出勤するまでその痕は消えず、吉村に指を差されて笑われた。
「ちょっとうたた寝をしてしまってね」
 苦笑を零す私のデスクから離れない吉村を係長が呼び寄せる。あからさまな嫉妬心が向けられているような気がした。吉村が弾かれたように自分のデスクに戻る。彼も係長の思惑を知っているのか。
 男の嫉妬ほど醜いものはないと言うけれど、男ほど嫉妬深いものはないとも思う。オスは縄張りを争うものだ。自分の持ち物と他人の持ち物をはっきり区別させたがる。自分の持ち物や縄張りに分け入ってこようとする異物があれば全力で排除したくなる生き物だ。
 女性の嫉妬とは質が違う。女性は自分と自分の子供の生活の安寧のために縄張りを確保したがり、自分を庇護するオスを確保したがる。しかし今一緒にいるオスよりも優れたオスが自分を庇護してくれるならいつでも心を変えられるのだろう。
 無論女性だけを責められたものじゃない。オスは縄張りを広げたがる。あっちの旨い汁もこっちの旨い汁も、全て自分の物にしたがる。だから雌の嫉妬が強くなるのだ。
 吉村は係長の口実じみた詰まらない用事を聞きながらも不服そうな表情一つ見せなかった。彼が係長の件で愚痴を言っているのは聞いたことがない。仲の良い同期などには話しているのだろうか、それとも係長のことを悪く思ったことなど一度もないのか。
 私が係長を快く思っていない所為で吉村までそう思ってると錯覚しているのかも知れない。係長が私を敵視しているのは明らかだし原因もよく判る。では私は何故係長を快く思わないのだろう。敵視されているからか。それとも吉村を私の縄張りだと思っているからだろうか。

「梶谷さん、昨日のメールアドレスの件なんですけど」
 就業時間間際に吉村が私を廊下で引き留めた。給湯室に自分の湯飲みを下げに出た私を慌てて追ってきたようだった。
「IT部の多田に聞いてみてるんでもう少し待ってもらえますか」
 IT部の多田は吉村の同期で、二年前に開設されたばかりの部署の精鋭新人だった。私のように趣味と仕事の上で必要な分だけ判っていればいいと言うような腰掛けパソコンユーザーとは違う。今までも車体の開発や広報のデザインで使われていたパソコンが、もっと幅広い分野で使えるように――これまで外注で開発していたオンラインショップのソフトなんかもこの部署が担当なのだそうだ。
「いや、そんなに気にしてるわけじゃないから――」
 lewdに返信したメールの返事が気になった。返信次第ではもう二度とあのメールアドレスを気にする必要もなくなるだろうし、彼からの返信によって不審なメール相手から人間同士のつきあいに発展すれば自ずと私のアドレスが漏洩した経緯も知れるだろう。吉村に相談したことすら忘れていた私は問題が他に飛び火していたことを知って自分を恥じた。
「あっ、でも俺もウイルスメールとか多くて気になってたんで」
 私のばつの悪い表情を察してか、吉村が慌ててフォローする。私は自分で伏せた湯飲みを布巾で拭いて棚に戻すと、その吉村の顔を横目で見た。私が昨夜想像で犯した表情と重なる。
「どうせ飲み会の席で訊いただけだから忘れられてるかも知れないんです」
 くったくない表情で笑って吉村は言葉を重ねた。多田は酔うとすぐ物を忘れるからだの何だのという飲み会の逸話へと話が逸れていく。彼の話を聞いているといつも飽きなかった。常に話が横へ横へと展開して、話に引き込まれていく。自分もその賑やかな飲み会の席に一緒にいるような気になるくらい話も上手だ。
「あ、そうだ」
 五時の時報がなりそうになるのを見計らったように吉村が手を打つ。
「梶谷さん、今夜飲みに行きませんか?」
 下から伺うような視線。
 係長の顔が脳裏を過ぎった。
「いや、でも――」
 私が思わず口ごもると、吉村は私が断りにくそうにした時のフォローを計算していたように苦笑を浮かべた。
「あぁ、でも梶谷さん忙しいんですよね? すいません」
 確かに私は殆ど定時で上がるし、端から見たら忙しくしているように見えるのかも知れない。しかし何か習い事をしているのでもなければ行きつけの飲み屋があるのでもなければ、無論この後逢う人間もいない。しかしそれを吉村は知らない。私がアフターファイブに何をしているのかは彼は知らないのだ。訊かれても答えようがないだけなのだが。
「いや、――忙しくはないよ」
 五時を報せる鐘が鳴った。帰る支度をしなくてはならない。 
「でも」
 吉村が反射的に言い返してから口を塞ぐ。他人と言い合いをすることを好まない性格なのだろう。きっと私が彼とまともに口論なんかしたらこっぴどくやられてしまうに違いない。
「係長に目を付けられるよ」
 私は吉村との間で係長の件をタブー視していた。吉村が自分を利用しようとしている係長の思惑に気付いていなかったら私が卑屈な妄想に取り憑かれているだけだと思われるだろうし、もし彼が気付いていたとしても係長の悪口になりそうな可能性のある話は彼には似合わないと思った。しかし今、不意に突っついてみたくなった。吉村がどんな表情をして、この件を受け流すのか。
「……、」
 吉村はただ困ったように苦笑した。得意のすいませんも言うわけにはいかず、否定もしきれないんだろう。
「ただでさえ首が危ないんだからね」
 私が彼を困らせる冗句を続けると、ますます吉村は黙ってしまった。自分でも意地が悪いと思った。彼と飲みに行くのが嫌ならそう言えば良い。いや、飲みに行きたくないわけではないのだ。単純に意地悪をしてやりたいという悪戯心がそうさせた。
 吉村は口を噤んで顔を伏せてしまった。やりすぎたかも知れない。彼が係長の思惑を知っていたなら愉快な話ではなかっただろう。自分の学歴を利用する男と、その抗えないものに対して揶揄する私と
 彼は拠り所を失ってしまったかも知れない、そう思うのは私の奢りか。彼には同僚だっているし恋人だっているかも知れない。
「梶谷さん、あの、僕――」
 吉村を置いて給湯室を去ろうかと思いかけた私に吉村がか細い声を出した。
「ご迷惑、でしたか」 
 まさか泣いているわけではないだろうが、泣いているかのような声だった。彼を虐めるような軽口を叩いたことには些かの罪悪感を感じる。しかし、彼が出した縋り付くような声には、彼には悪いが――欲情した。
「冗談だよ、気にしなくて良い」
 そうは言っても、係長が私を目障りだと感じていることもその原因が吉村にあることも私が首になりそうなのも全て事実だ。彼は顔を上げなかった。
「……」
 私は閉じた給湯室の扉に背を預けて、いつも耐えずぽかぽかと暖かい光を放っていた光が消えてしまったかのように意気消沈した吉村の肩を眺めた。晒された細い首は私が昨夜想像の中で抑えつけた物と大差なかった。知らずの内に私は彼の姿をよく覚えていたようだ。
「新しいデジカメが欲しいんだ」
 痺れを切らした私が口を開くと、吉村が訝し気に顔を上げた。
「今日はこれから電気屋に寄って、買おうと思ってる」
 最近の物は小型で高性能で、しかも安価だと教えてくれたのも吉村だ。彼も先日新調したばかりだ。それで何を撮ってるのかは知らない――まさか、自分の性器を撮って男に送りつけているのか?
「僕、この間買ったばかりだから詳しいです」
 吉村が文字通り食らい付くように口を挟んだ。思わず私は破顔した。
「あぁ、知ってる」
 私が笑うのを見ると吉村もようやくいつも通りの口調で私に纏わりついてきて、私達は駅前の大型電気店へ行くことになった。