LEWD(65)

 その店に行ったのは平日の夜のことだった。
 妻が上司との関係や妊娠の事実を打ち明け、離婚届を広げたのが火曜の夜だった。
 水曜の夜、私は同僚と居酒屋を二件はしごし、恐らく三軒目でその店――ヴィーナスに行った。
 女なんて皆同じだ、男のことを金を稼いでくる便利な種馬、一石二鳥の置物だとぐらいしか思っていないのだ。私が店で酒を飲み女を抱き金を落として行けば、店の女にとっても私は便利なものでしかない。そう思うととても女で楽しむ気にはなれなかった。隣に座った女も前に掛けた女も、店中の女が全員妻の顔に見えた。
 私は酔っていた。あの頃は毎晩酔っていた。私の女だと思っていた妻の体内に私の血を継がない子供がいるのだと考えると、私がこの世に存在しない人間のように思えた。
 毎晩のように私を女のいる店に連れて行ってくれた同僚も――恐らく私にかこつけて自分が女性に酌をして貰いたかっただけだろうが――私が酩酊して女性を非難することが度重なると酒に誘わなくなった。
 一人で飲むようになると、私は女のいる酒屋には行かず家で飲むようになった。
 やがて酒がなくても眠れるようになると、同僚と共に通った店の場所も忘れた。
 
 一昨日の朝、気怠い躰を引き摺りながら吉村の部屋を出た私が、再び東京の駅に降りたのは正午過ぎのことだった。
 あてがないわけでもない。一緒に店に行った同僚を訪ねれば店の場所はすぐに判るだろう。しかし加賀見がまだ其処にいるとは限らない。
 彼がもしlewdの居場所に心当たりがあるのだとすれば、もう移動しているかも知れないのだ。しかし私にはその手掛かりがない。鏡の携帯電話にも一度掛けてみても、もう繋がらなかった。
 或いはlewdを直接私の許に呼び寄せれば良いのだ。加賀見が彼を探しているなら、その餌を私の手の中に置いて置けば良い。
 私は、そびえ立つ本社ビルのある駅に降り立って暫く携帯電話を握り締めた。
 lewdに逢ってみたいという気持ちがなかったわけではない。寧ろ捜し求めていた時期もあった、だから吉村をlewdだと思いもしたのだ。しかしまさかこんな風に逢うことになるとは思っていなかった。
 lewdから初めてメールが来た時と、今とでは私の様子は大分変わった。あの時はメールに添付されたlewdの肢体に女とは違う噎せるような淫靡さを覚えて、まるでセックスを初めて知った小中学生のように淫らな妄想に掻き立てられた。この肉を犯してみたいと強く願い、欲情した。
 しかし今は違う。吉村を自分の好みに躾け、加賀見を組み敷いて、男の躰を貫くことを知っている。今、私がlewdに求めているのは彼らとは違うものだ。
 もしこんな風に逢って彼を抱いたらlewdとの仲が終わってしまう気がした。
「…………、」
 馬鹿なことだ。
 lewdとの仲がどうなっても、それでどうなるものでもない。楽しいゲームをしただけの話だ。lewdのお陰で私は男を知り、lewdも束の間被虐性向を満たすメール相手に恵まれ、いつかは終わることだったのだから。
 私は駅のホームでベンチに掛けると、握り締めた携帯電話のボタンを押した。メール作成画面を操作しlewdのアドレスを呼び出す。
 今東京に来ている、もし近くにいるならば逢いたい――たったそれだけの文章を打てば済むのだ。もし彼が地方に暮らしているなら加賀見は何の手掛かりも得ていなかったことになり、私は繁華街を捜し歩けば良い。……そうなることを期待しながら、私はボタンを押し始めた。
「あれっ」
 ベンチで背中を丸め、メールを打っていた私に頭上に素っ頓狂な声が降り注いだ。
 同じホームの下り線に着いた電車からなだれ降りてきた人込みの中で、誰かが私を見止めたのか。無理もない、会社の目の前の駅だ。私はメールを打つ指を一旦止めて顔を上げた。
 「梶谷さんやないですか、まだ東京にいらしたんですか?」
 大きな紙袋を抱えて私に歩み寄ってきたのは、多田だった。