LEWD(66)
思わず、広げた携帯電話を反射的に閉じてしまった。
携帯電話でメールを打つこと自体はやましいわけではないのに、多田には何か見透かされそうで携帯電話をポケットに仕舞ってしまう。その方が、何かやましいことをしていたかのように思われそうなのに。
「お疲れ様です」
屈託のない、人懐こい表情。相変わらず何か白っぽいスーツを着ていて、浅黒い肌によく映えている。IT部には時折暫く家に帰っていないような人物を見掛けることがあるが多田は清潔さそのものだった。やり手と噂される彼は効率よく仕事をこなし自分の時間を大切にしているのだろう。まさか不潔な格好で合コンに行ける訳もないだろうし。
それとも彼にとっての「自分の時間」は男と寝ることかも知れないが。
「いや、今東京に着いたところだよ」
私はベンチから腰を上げて多田の顔を仰いだ。
偶然見つけた募集掲示板の彼の書き込みを脳裏に思い浮かべる。あんなに堂々と素顔を晒して思い切り掘られたいなどとメッセージを書き――目の前の彼が、とてもそんな風には見えないが。
「あら、お忙しそうですね」
素っ頓狂な声を上げて同情するように首を振る、しかし彼の方がよほど忙しそうだ。独特の早口がそう思わせるだけなのかも知れないが。
腕にぶら下げた紙袋には私には見慣れない、パソコンのパーツがぎっしりと詰まっていた。電気街まで買い出しにでも行っていたのだろう。
「会社まで一緒に、どうですか」
言うなり歩き出しそうな素振りで多田は体の向きを変える。ホームにはもう人の姿がなかった。こんな昼間から油を売るような人間はこの駅に降りない。オフィスに埋め尽くされたこの町の中で、何処へ行こうかと考えているのは私くらいのものかも知れない。
「あ、いや私は……」
まずlewdが都内にいるかどうかを確かめて、それからだ。今日は仕事をしに来ているのではない。
しかし多田の前で仕事ではないなどと言うのは憚られて、私は言葉を濁した。
「あ」
しかしそんな私の言葉を先回りして、多田が声を上げた。知らず視線を伏せていた私が顔を上げると、大きな口がおとぎ話に出て来る不気味な猫のようににやっと笑う。
「女にでも逢いに来たんとちゃいますか?」
梶谷さんも隅に置けない、と多田は肘を突っ張った。紙袋の中のパーツが騒々しく音を立てた。
似たようなものだ、浮ついた気持ちで睦言を囁きに来たわけではないが――lewdを探すにしろ加賀見に逢うにしろ、傍から見たら同じことだろう。
私は俗物的な話を振られた時にして見せるような苦笑を浮かべようとしたが、暫くそんな付き合い方を他人としていなかった所為か、頬が引き攣る。若林でもこの場に居れば、上手くやり過ごせたのだろうが。
「君は――多田君は、どうなんだ? 忙しくて女に逢う暇もないんだろう」
代わりに口を突いて出た言葉に、私ははっとした。
ただの雑談のつもりだった。しかし口に出すと、そうではないことに気付いた。
私は彼に、カマを掛けようとでもしているんじゃないだろうか。
「逢ってくれるような女もいませんよ~、最近は合コンにも行ってませんしね」
私と違って滑らかに紡がれた彼の受け答えは見事なものだった。困ったような笑みを浮かべて歯を覗かせる。忙しいからね、と相槌を打った私の声が何処か遠くに聞こえたような気がした。合コンに行かなくなったのは男の方が良くなったからではないのかと下衆な言葉が頭を過ぎる。
「いや俺は行きたいんですけどね、最近吉村の付き合いが悪くって」
談笑していた筈の私は、途端にどういう表情をしているのか、どういう表情をして良いか判らなくなった。
人員が削除された会社で吉村の負担も多くなっただろうし、元々将来を有望視されての入社だ、次第に忙しくなって来てもいるのだろう。そう考えるのが妥当な筈だ。しかし、彼の付き合いが悪くなったことを私は知っている。
私が彼と関係を持つまでは週に一度くらいは仲の良い同僚と飲みに行ったりしていたようだし、それこそ合コンの誘いも断らなかった。しかし私が彼を抱いて以来は私の都合を聞きながら、私にその気があれば私を優先させることが多くなった。
私が工場に行くようになってからは休日を私に費やすようになったし、即物的な店にも通っていたようだ。
それを多田に言える筈もない。
吉村こそ、男漁りに夢中なんじゃないか、などとは。
――私が偶然掲示板で多田の顔を見つけてしまったように、そんな店で多田と吉村が逢ってしまうことはないのだろうか。
世の中は広い。同性を求める男性が小数とは言え、少数だからこそ一部の街に集められて偶然顔を合わせてしまったりしないものだろうか。
「梶谷さん?」
黙ってしまった私の顔を多田が伺った。
弾かれたように顔を上げる。どんな表情をして良いのか結局判らない。彼の早口が私を救った。
「そうだ、最近ちょっと吉村の様子がおかしいんですよ、忙しくっておかしなってるんかなぁ。ちょっと暇あったら逢ってってやって下さいよ」
そう言って多田が手首に嵌めたシンプルな時計を見下ろす。随分長いこと彼を引き止めてしまった。
「あぁ、……じゃあ少し、顔でも見せて行こうか」
吉村の様子がおかしい原因も、恐らく私は知っている。しかし私は多田に従って、駅のホームを出た。