LEWD(87)

 途中、噎せるような体臭の立ち昇るワイシャツが肌に纏わり付く嫌悪感からジャケットを脱いで肩に掛けた。
 オフィス街とは言え、インターネットブースの置かれた漫画喫茶が多い。店内にはきっと、私のようにスーツ姿で背を丸め、漫画を読み耽っている者やインターネットに興じている者がいるのだろう。
 いくら不景気の煽りと言っても、失業率が何パーセントと騒いでいても、そうやって手を抜きながら月給を受け取ってい者がまだいるだけ、日本は平和なのだ。或いは彼らは昼間をそうやってサボタージュに費やすことによって夜間は会社に残り、そうすることで家族の平和を築いているのだろうか。
 私には家族のことは判らないが。
 私は一際大きく張り出された漫画喫茶の看板を見ると迷わず足を進めた。遅い昼食から帰る接客業であろう女性達とすれ違う。彼女達に私はどう見えているのだろうか。私も彼女達の上司と同じ、サラリーマンに見えているのか。もう充分、管理職にいるべき歳だ。吉村はそれでも私を若く見えるなどと言うが、それは妻帯者じゃない故の落ち着きのなさかも知れないし
 今となっては彼のそういう言葉は全て彼の痴態へと結びついて行く。自分を辱め、貫く肉棒を持つ男の下半身の年齢は彼が身をもって計っていることだろう。さて、専務の年齢はいかほどのものだろうか。
 横断歩道で足止めを食らった私は肩に掛けたジャケットのポケットから、汚れた携帯電話を取り出してディスプレイを覗いた。正常に稼動している。なまじローションなどを用意していて存分に濡らさなくて良かったのだろう、多田にとっても携帯電話にとっても。
 私は携帯電話のリダイヤルボタンを操作すると加賀見に繋げた。また電話には誰も出ないかと思っていたのだが、加賀見は三コール目で、通話ボタンを押した。
『……よォ、……梶谷さん、今、ドコ?』
 たった今起きたような。気だるげな声だ。酒に焼けたのか煙草でも吸いすぎたのか、声がしゃがれている。
「それは私の台詞だ、今何処だ?」
 信号が青に変わった。漫画喫茶の入ったビルに向かって足を踏み出す。私の周りの雑踏は、何処にいるか知らない加賀見の耳にも届いているだろう。しかし私の耳には加賀見の居場所を知らせるような物音はまるで聞こえてこない。
『新宿』
 加賀見はそう言いながら息をそっと吐いた。笑ったのかも知れない。
「新宿の、何処だ」
 lewdは新宿にいるのだろうか。
 加賀見の手の届く場所に、lewdはもういるのだろうか?
『……安心しなよ、まだあの奴隷さんとやらには逢ってねェ』
 努めて冷静を装ったつもりだったが、加賀見には私の声が焦っているように聞こえたのかも知れない。私の様子を嘲笑うような声に変わった。
『友達がさ、遊びに連れてってくれるっつーから、ソッチが先決』
 私はビルの一階に着くと二階にある漫画喫茶へ向かう足を止めて路肩に寄った。
「友達?」
 東京に友達がいるのだろうか、加賀見の交友関係など私には知る由もないし両親だって把握していないだろう。以前付き合っていた地元の友人が東京に出てきていることだって十分考えられる。……少なくとも、友達の家にでも泊まらせて貰っているのなら安心といった所だろうか、社長への報告も出来る。
『そう、二丁目っつーの? ……連れてってくれるっつーからさ』
 言うと、加賀見はさも可笑しそうに声を弾けさせて笑った。
 二丁目と言えば、その種の愛好者が集まる酒屋が多いということくらい誰だって知っている。しかし、何故加賀見がそんな所に進んで行く必要があるのだろう? 私に犯されたことが屈辱だと感じているのではなかったのか、それとも自覚していない振りを装うことを止めたのか?
 私へのあてつけのつもりなのだろうか? ――だとしたら幼稚過ぎる。呆れて物も言えない。
「加賀見さん、とにかく一度会社に戻って下さい。……社長も別に、貴方を工場に縛りつけようなんて思ってない。出るつもりなら、一度しっかりと話し合って――」
 彼らに必要なのは、きちんと向き合って話し合うことなのだ、そう告げようとした途端、通話は切れた。説教染みた言葉は聞く耳持たないということなのだろう。