LEWD/番外-Ⅰ

 父親は、忙しい人だった。
 国立大学を出て若くから実業家として名を馳せた彼は、週末も家に帰らずに働き通す人だった。
 だから僕は殆ど父親の顔を覚えていない。
 母と父は僕が高校生の時に離婚した。子供に対して何の相談もなかった。父が帰らないことは当たり前のことだったから、僕にとって両親の離婚はただの引越しに過ぎなかった。
 父親がいないことは僕にとって何のトラブルでもなかったし、父親と同じように高学歴は必要だと思っていた。だけど彼に憧れているわけじゃなかった。彼と同じように生きたいとは思わなかったし、生きられるとも思わなかった。
 僕がこの年になるまで母は再婚を考えようともしなかったようだ。彼女はそれで幸福なのだろうかと考えることはあった。でも、そんな残酷なことを訊ける筈もない。僕は彼女の子供として出来ることをするだけだ、配偶者が、女性としての幸せを彼女に与えることが出来なかったとしても僕は子供として母親の幸せを彼女に感じさせてあげたかった。
 僕は親としての幸福は子供の自立にあると思った。一流の大学を出て、一流の企業に就職して僕は母が無理なくパートを続けられるように家計を支えた。
 大学に通うために僕は実家を出たけど、今でも実家へは給料の中から送金をしている。兄弟ももう皆就職しているし、もうお金は要らないと母は笑ったけど、僕は止められないでいる。
 だって僕は、母の最後の望みを叶えられそうにないからだ。

「吉村君、内線」
 給湯室にコーヒーを組みに行っている間に、隣の席の同僚が僕の席の受話器を上げていた。
「有難う」
 慌てて戻ろうとするけどカップ一杯に注いでしまった水面を気にして走れない。これが例えば梶谷さんからの電話だったら僕は火傷も気にしないで飛んで行くだろうけど、どうせ週末のこの時間に掛かってくる電話なんて相手は判りきっている。
「お電話代わりました、吉村です」
 コーヒーカップを机の上に預けて、一呼吸置いてから受話器を取る。出ないで済むならそうしたいところだけど、彼が僕に飽きるまではそうするわけにいかない。
 『席を外していたのかね? ……私から電話が来ることが判っていた癖に、悪い子だな』
 耳に絡みつくような嫌な声だ。それとも、そう感じてしまうのは僕が梶谷さんの煙草に枯れた声を聴き慣れている所為かも知れない。
「申し訳ありません」
 席に腰を下ろしながら、小さい声で詫びると彼は何が楽しいのかくぐもった声で笑った。彼は僕が謝罪するのが愉しくて仕方がないようで、行為の最中も僕を辱めるよりも寧ろ、意味もなく貶めてとにかく僕を虐げたいらしい。
『今夜もいつもの部屋で待ってるよ、楽しみにしておいで』
 毎度ながら何の捻りもない誘い文句だ。もしかしたらカセットテープにでも録音して、毎週この時間に電話口で流しているだけなのかも知れない。
「はい、……有難う御座います」
 顔を伏せたまま答えると、同僚からの視線が気になった。専務からの内線電話なんて、一般社員にそうそう来るものじゃないだろう。不審がられて当然だ。いっそ、毎週電話の来る時間に合わせて席を外してみようか。僕以外の人間が電話を取ることで、部内の人間に疑われているから関係を止めたいと遠回しに言えるかも知れない。
『今日もたっぷり苛めてあげるからね』
 彼はそう言って引き攣るように笑う。背筋に悪寒が走った。
「はい、楽しみにしています」
 何が楽しみなもんか。


 梶谷さんは本社に戻って来たくなかったのかも知れない、という予感はしていた。
 もしかしたら工場の方がよっぽど居心地が良いのかも知れないと。だって本社では係長が彼を目の敵にしていたようだし、半ば僕の我侭で連れ戻してきてしまった本社でも彼には不釣合いな雑用に回されている。
 総務の仕事は会社にとって大事なことだと思うけど、何の役職もない、総務の平社員と同じ仕事をさせられるような彼ではない筈だ。
 梶谷さんは気にしていないと言うけれど、彼はきちんとしたキャリアを持っているし、あんな係長が昇進するよりも梶谷さんが上司になってくれた方が良いと思っている人間は僕だけじゃない。
 工場は結局本社から見限られてしまったし、梶谷さんを連れ戻せたことは正解だったと今でも思うけど、とても今の状況では大満足とは言えない。僕がもっとうまくやれていれば、元のポストまで引き上げられたのに、と思う。
「ふ、……っくぅ・ッあ……、せ、ンむ……!」
 ビジネスホテルの一室で、煌々と明かりを点けられたまま僕は両足を大きく開いて腰を振っていた。
 彼は僕に役職で呼ぶことを強いた。初めて躰を開いた夜に、媚びるつもりで名前を呼ぶと彼はしたたかに僕の尻を掌で叩いたのだった。
 上の人間の考えることなんて判らない。会社の人間を犯しているという感覚が良いのだとか、自分の上り詰めた役職を実感したいのだとか、想像はつくけれど実際のところ理由はどうだって良い。役職でしか彼を呼ぶ必要がないのは僕にとっても好都合だった。これはビジネスなんだと割り切れるからだ。
「尻までビチョビチョじゃないか、この助平さん」
 黒ずんだ舌の腹を一杯に使って、専務は僕の腿をねっとりと舐め上げた。股間に覗く彼の唇が笑った。その口内には歯が殆どない。
 普段は入れ歯をしているようだけど、ホテルに入るとそれをすぐに外してしまうのだった。気味が悪いから付けてくれとは言えない。
「感じているんだな、私におちんちんをしゃぶられて気持ちが良いのか、吉村くん。気持ちが良いんだね?」
 彼の手の中には赤紫色のバイブが握られていた。その先端を僕の尻穴にあてがって、弱い震動だけを与えてくれる。焦らしているつもりなのかも知れない。
「は・ァ……ッあぁ、感じ……ています、僕……専務……専務のお口が気持ちよくて……もう、イってしまいそうなんです……! 早く、もっともっとこの助平を苛めて下さい・ィ……っ!」
 彼の唇を求めるように腰をがくがくと上下に揺すった。
 脳裏には、彼の行為を一つ残らず記憶していなくてはいけないと醒めた感情が働いていた。専務にどんな風に責められて、どんな風に強請ってどんな風に苛めてもらったのか
 あとで梶谷さんに全て報告しなければいけないのだから。
 正しく報告することが原則だけど、僕は偶に大袈裟に報告することがある。何故ならば梶谷さんは僕が専務に酷く苛められたと告げることで、それ以上の行為を僕に強いるからだ。専務が口付けた場所を執拗に吸い、専務が舐め啜った場所を唾液でぬるぬるに濡らしてくれた。それに、専務のようにあっけなく僕をイかせてはくれない。専務との行為ではもうイった、と言っても梶谷さんは意地悪をしてイかせてくれない。
 それに、専務は僕の中にバイブを突っ込むだけで僕が感じていると思っているようだけど、僕は僕が丁寧に舐めた梶谷さんの太いチンポを嵌めてもらわなきゃ感じない。僕の尻穴が女性の性器のように感じるんじゃなくて、僕は梶谷さんに貫かれるから感じるんだ。
「ン、っむフぅ……ッ」
 鼻息も荒く、専務が歯のない口内に僕のペニスを啜り込んだ。歯茎が直接当たる感触に、足の先が痙攣するように震えた。
「ィ……っひ・ァ……あ……や・ァ・だめ……ッ専務・ぼく、おし……お尻も弄って下さいィ……っ!」
 自らの手で両足を抱え上げ、下半身を天井に向かって突き上げると僕は脂ぎった男の顔面に淫らな肉壷を晒した。
 やたらと粘っこい唾液を溜めた唇でフェラチオをされながら、瘤つきのバイブを捻じ込まれる。目を閉じると、室内の明かりも気にならなくなった。ただ瞼の裏には、梶谷さんが僕の上に覆い被さってくる映像だけが浮かんで僕を幸せにさせる。
「い・ッ……ィ――……! もっと、……もっと……!」
 もっと僕を貶めれば良い。
 多分、この堕落の果てには梶谷さんが、待っていてくれるのだから。